ハーラン・エリスンのヒトラーの描いた薔薇を読んだ。短編集の表題作にもなっている。
ただこの作品、ヒトラーは脇役というか、端役というか、友情出演というか、庵野監督がバスの運転手でシンゴジラに出演しているような、そんな扱い。話の筋とはまったく関係ない。
以下ネタバレ。
家政婦と恋人は情事が主人にばれて家を追い出されることに。しかし、恋人は主人含む一家を惨殺。そのまま逃亡。逃げそびれた家政婦はリンチのあげく殺害され、しかも地獄に落ちる。
どういう手違いか恋人は天国へ。
ある日、地獄の扉が開いて、家政婦は地獄から逃げる。そして、天国の恋人と会うも、神によって再び地獄へ。
作品としては非常に面白い。とくに、大悪人であるはずの恋人が天国へ行ったというのは笑える。
ただ、題名のヒトラーの描いた薔薇は意味不明だ。ヒトラーは地獄の扉が開いたときに、その他の大悪人は逃げたのに、薔薇の絵を描いていて逃げなかった、という。ひょっとしたら、ここに作品にたいする深い意味が隠されているのかも知れない。
地獄は逃げるに値しない、そもそも、現世こそ地獄。天国の描写も微妙で、奇妙なユートピア感が溢れていた。
しかし、こんなタイトルでいいのなら、シンゴジラは「庵野のバス」でもよくなってしまうような。