わたしは現代人の悩みの一つに「閉塞感」というものがあると思っている。内山はそれを「充足感のなさ」と表現する。「閉塞感」と「充足感のなさ」は厳密には違うかもしれないが、多くに部分で共通した感覚ではないだろうか。内山は充実感のなさの原因を発達史的な歴史を知性によって求めるが故、と分析する。
世の中の人は、この充足感のなさを解決するために、「物質的な豊かさから心の豊かさへ」などと謳う。ここで内山は、知性による発達史的歴史の中で実現したものは物質的な豊かさだけではないと喝破する。
我々は移動、思想、教育、出版、表現、といった様々な自由を手に入れた。知性が発見した発達史的な歴史のイメージはほとんど手に入れた。物質だけではない多くの豊かさを手に入れたはずである。
それなのに、我々に充足感がないのは知性の領域でのみ暮らしているからだという。知性の領域の外にある広大な世界が見えない。それ故に、充足感のなさを感じている。「心の豊かさを」などと、知性の領域でなにかを求めてもそれは無駄なことだ。
この考え方にわたしは深く共感する。すべて足りているはずなのに、何が足りないのかわからない、この現代的な問題に切り込む良いアプローチだ。ただ、問題は知性でとらえられない世界を、我々はどのようにしてとらえればいいのか。村ではない都市で、そういった感性が得られるのか。非知性的な問題とは、それを考えた時点ですでに違う物になってしまう。本当に、座禅でも組むしかなさそうである。
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)
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