文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

ひたすら歩いた。

去年の五月にひたすら歩いたという記事を書いた。

 

yoshinori-hoshi.hatenadiary.jp

 

先日、再びひたすら歩いてみた。

しかし、今回は前回とは全然違った。歩いても歩いても、大して疲れないのである。

 

前回の記事を見ると、3万歩を越えたあたりから節々が痛くてたまらん、とあった。今回も、膝が痛かったり、親指が痛かったり、足の付け根が痛かったり、いろいろ痛かったが、耐えられないほどではない。

 

ちなみに、靴は前回と同じスケッチャーズである。

 

今回は時間切れで43000となったが、気分で気には5万は楽に行けそうなくらいだった。

 

あと、前回と違うのが、帰ってきて発熱しなかったことだ。一日で直ったが、前回は家に戻ると悪寒がとまらず、はかってみると38度を超えた。

 

今回はコロナ騒動もあるし、発熱していらぬ疑いを受けるのもいやだなぁ、と考えていた。大丈夫だった。今回は発熱することはなかった。悪寒もなく、計測しても平熱であった。前回は五月、今回は三月。気温が低かったのもよかったかもしれない。

 

あと、今回は朝飯を食べて9時48分に出発したのであるが、18時40分の帰宅まで一切喰わなかった。水は飲んだが食い物は何一つ口に入れなかった。案外、これが良かったのかも知れない。

 

ちょっと腹は減ったが、空腹に襲われることはなかった。空腹にデコピンされたくらいだった。

 

前回との違いは翌日である。膝がものすごく痛かった。普通に歩く分にはまだ耐えられるのであるが、階段を降りるとき、膝を曲げなければならない。そして、重力で引っ張られる。かなりの激痛で、普段使わないエレベーターをつかった。図らずもバリアフリーの恩恵を被ったわけである。

 

しかし、翌日も実験のつもりであえて歩いた。12000歩ほど歩いたが、その膝以外にとくに問題はなかった。

 

目指せ松尾芭蕉! 俳句ではなくその健脚を!

 

 

出発は9:48。この日は天気は良かったが風がちょっと強かった。

目標は前回の41804歩を超えること!

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やはり一時間6000歩である。

 

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二時間目はちょっとペースが落ちる。

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三時間目はもっと落ちる。ちょっと旧跡の見学をしていたのである。

 

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ちょっとペースを取り戻す。

空腹などは一切ない。

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かなりペースを取り戻す。

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そうとういいペースである。

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前回の記録を上回った!

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今回はこの程度で。次回、もっと早く出立して、記録更新を目指す!

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歩けばコロナも治るんじゃね?

 

 

 

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仮面の告白 三島由紀夫 を読んだ。感想 レビュー

 

仮面の告白 (新潮文庫)
 

 

 

三島の自伝的小説である。

 

二十四歳でこれを書くとかって、どれだけ天才なの?

 

文章はもとより、構成もシナリオもピカイチである。

 

もちろん、読みにくい小説ではある。さくさく読める小説とは全然違う。だが、こういう小説を是非、日本で再び流行らせたいと思う。重厚で、後味がキツく、上品で、人間の深部が描かれた作品を。

 

昨今、LGBT小説は五万と溢れているが、仮面の告白は単なるLGBT作品ではない。LGBT的要素はあるが、それが主題などでは間違えてもない。

 

主題などと簡単に語れる作品ではないので、わたしなりのこの作品の見所を述べたい。

 

三島が1970年に自衛隊に乗り込み割腹自殺を遂げたことはご承知の通りだと思う(実は先日映画を観てきた。おってこのブログで報告したい)。

 

では、三島の死とは憂国故の死なのであろうか。もちろん、それもあるが、わたしは仮面の告白を読み、三島は死に対する憧れを強く抱いていた。いや、常人とは違う種類の憧れを抱いていたと感じた。

 

三島は自決をしたわけであるが、三島的には交通事故で死んでも良かったのではなかろうか。ただ、交通事故ではなかなか死ねないので自決を選んだ。極端に言うと、そういう印象をこの作品を読んで感じた。

コロナと言論空間について コロナ対策翼賛体制

「他人の意見は尊重しましょう」

「多様性を認めましょう」

などと教えられてきたが、現実はまるで違う。

 

このブログの読者はご存じの通り、コロナ問題において、わたしは反自粛派であるし、都市封鎖などもってのほかだと思っている。緊急事態宣言などは茶番劇以下だと思っている。

 

コロナウイルスなど全然大したことないと思っている。死亡率からしてコロナに気をつけるくらいなら交通事故やインフルエンザに気をつけた方がましだと思っている。

 

リアル生活でもこのブログほど露骨にではないにしろ、コロナを馬鹿にして、普通に振る舞っていると…………ちなみに、普通に振る舞っていると、コロナ脅威派の連中の目には「油断している」と映るらしく、鼻つまみ者のように扱われ、汚物を眺めるような目で睨まれることがたびたびある。

 

ヤフコメなどを見れば一目瞭然であるが、コロナ脅威派はコロナに対して油断している若者や出歩いている人たちを「国家の敵、人類の癌」と見なし糾弾する。

 

わたしはここに、戦前の「一億層火の玉だ!」的な翼賛体制を感じる。伝わってくるのだ。その中で大勢と異なる意見を言うのが、これほど自己の存在を危うくすることなのだと初めて知った。

 

コロナと太平洋戦争は全然違うというだろう。

 

しかし、今実際、「一億総コロナ対策!」であり、コロナ対策翼賛大勢が生まれつつある。

 

もともと「翼賛」という言葉は「力を添えて助けること」である。つまり、その中にいる人々は自分のやっていることが正しいと信じて行っている。自分のやっていることが国や人々を助けると信じて行っている。だから、戦前の大政翼賛の中で、戦争に反対するものは敵であり、現在のコロナ対策翼賛の中にあっては、コロナなど雑魚ウイルス扱いするものは敵なのである。

 

この構造は今も昔も変わっていない。

 

言論の自由憲法で保障されているから大丈夫だよ。というかもしれない。しかし、緊急事態宣言などにより、外出禁止令が出されれば、行動の自由は制限される。また、コロナについて非予防的な言論は取り締まりの対象になったところで不思議はない。

 

しかし、事の本質はそこではなく、一般社会において、不文律の言論統制がなされることである。現にわたしはリアル生活においてはその言論を脅威派に合わせて、「やっぱコロナやばいっすよね」などと迎合を試みている。

 

中国の愛国無罪ではないが、コロナ対策無罪、的な世の中になれば、コロナ対策の名の下に経済破壊から学校崩壊まで、やりたい放題である。そして、社会がそれを良しとして推し進める恐ろしい世の中になる。

 

翼賛体制の恐ろしいところはブレーキがないところである。翼賛体制は常にアクセルベタ踏みの車である。合理的な判断が及ばない世界なのだ。日本はまだ死者が70人ほどだ。完全に抑えられているに等しいではないか。ちなみに普通の肺炎では日本だけで年間30万人以上死ぬのだ。だが、政治はここぞとばかりにリーダーシップを発揮したがり、マスコミはセンセーショナルに書き、国民はより強力な規制を希求する。ブレーキがないどころか、文字通り翼が生えてグリップすら失っている。

 

そこで、わたしは、まずネット空間から過剰なコロナ対策に抑制を働かせられないか、そのことを考えている。