文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

スーツの型 イギリス型 イタリア型 インターナショナル型

スーツの型、というのがあり、日本ではイギリス型、イタリア型、インターナショナル型の3種類に分かれていることが多い。このほかにもアメリカ型とか、コンテンポラリー型とか、店によって色々な名前を付けているのでたくさんあると思う。

代表的なのは最初に上げた3つであり、hanabishiのサイトを観ていたら、これら三つが並んだ画像があったので、その違いを紹介したいと思う。まずは、違いを発見して欲しい。間違い探しゲームの要領で、楽しめば良いと思う。

 

メンズオーダージャケット│オーダースーツのHANABISHI

 

f:id:yoshinori-hoshi:20170614224110j:plain

わたしは以下のような発見をした。イギリスとインターナショナルではまずフロントボタンの位置が違う。ボタンを高くすることでVゾーンの深さが変わる。イギリス型の方がボタン位置が高いことがわかる。ボタン位置が高いのに伴い、コージラインも高くなっている。フロントカットもちがう。イギリスの方が広く、インターナショナルの方が狭い。

次に、イタリアとイギリス・インターナショナルをまとめて比べる。一番の違いはショルダーだ。イタリアの方がその他に比べて肩の角度がユルくなで肩になっているのがわかる。他には、ダーツの入り方。脇腹と袖の間の空間を見ると違いがわかる。イタリアの胸ポケットはおそらくバルカポケットでいかにもイタリアらしいが、これはオプションでその他モデルでも作れると思う。

さて、余談であるが、わたしがweb監督だったらイタリアンの写真はNGだ。左右でポケットの位置がずれているし、フラップが波打ってしまっている。これでは、仕立ての悪さを宣伝しているようなものである。撮り直すか、フォトショップで直すかした方が良いと、老婆心ながら思う次第である。

芸術はなんのためにあるのか

最近、音楽をよく聴いている。芸術などは腹も膨れぬ無用の長物である、という意見は昔からあり、無用の長物と言わないまでも、なんのためにあるのかよく分からない、という人は多いかも知れない。
 
芸術がなんのためにあるのかという問いは、人生がなんのためにあるのかと同じくらい難しい問いである。人生のために芸術がなぜあるのかという問いならば、わたしは最近こんな風に思っている。
 
音楽にしろ小説にしろ、それに接している間は現実と異なる世界にいることが出来る。とくに、音楽はまさに異次元にいる感覚となる。しかし、目の前に広がる世界は現実の延長、いつもの風景なのだ。すると、異次元にいる自分が、幽体離脱のように 、現実の景色を眺めているような、そんな感覚に陥る。異次元から、この現実について思考する。その瞬間、普段の現実世界こそが、まさに異次元であるように感じるのだ。
 
だから、芸術は好きなのだ。音楽が好きなのだ。わたしはこの世が、この世だけとは思っていない。異次元が存在していると思っている。その異次元を感じる瞬間こそが芸術だ。
 
もしこの世に、この世しかなく、この世がすべてであったら、それは悲しいではないか。だから、それを認めないために芸術はあるのではなかろうか。

アーロと少年を観た

アーロは恐竜である。地球に隕石が落下しないで、恐竜世界が存続したらと言う、ちょっとしたSFである。少年は人類であるが、その他ほ乳類と同様に低脳に描かれている。

 

恐竜の家族愛のようなものを描いたものである。通常なら、人間が恐竜の子どもを可愛がる、みたいなところを、恐竜が人間の子どもを可愛がるという構図になっている。

 

これはこれで面白い。つまり、主体がなにになっても、家族愛や友情は同一であるという、なんとも不思議な作品なのだ。

 

子どもは恐竜が好きなので、これは喜ぶかも知れない。ちなみに原題はThe Good Dinosaur である。良い恐竜。そのままである。