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小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

帰ってきたヒトラー を観た

 

 

帰ってきたヒトラー コレクターズ・エディション [DVD]
 

 

 

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

 

 

わざわざ新作を大枚はたいて借りたわけであるが、ガッカリの作品だった。小説は単行本で買った。小説は傑作である。だからこそ、相当の期待を込めて観ただけに、ガッカリ具合も半端ないのである。

まず、小説とはストーリーがかなり異なる。半分以上小説とはエピソードが違う。小説はもっと遙かに政治的な作品であるのに対し、映画は単に変なヒトラーが復活しただけ。映画でも小説でもヒトラーはドイツ国民の支持を受けるのだが、映画ではその理由が判然としない。小説版は説得力のあるエピソードがいくつも挿入されている。エンディングも全然違う。

小説版のおもしろさがどこにあるかと言えば、ヒトラーの一人称で語られているところである。そこが滑稽であり、共感すべきところなのだが、映画版ではザヴァツキ視点でほとんど描かれている。ザヴァツキの視点から見てしまうと、ヒトラーがただの変人にしか見えない。

トランプだって、トランプの一人称から観ればおそらく滑稽だろうが、ニュースを通すと変人になってしまう。

映画版で印象に残ったのは、ヒトラーは人々を扇動していると批難される。そのとき、ヒトラーの返す言葉が、「わたしは扇動などしていない。人々が望むことを言っているだけだ」と。そっくりそのままトランプにも当てはまる。

ドイツ国民はヒトラーに扇動されたわけではない。ヒトラーを望んだのだ。大日本帝国も軍部が人々を扇動したわけではなく、人々が望んだのだ。ただ、戦後それでは問題があるので、ヒトラーのせいにし、軍部のせいにしているだけだ。

扇動とはゼロから人々を動かすのではなく、人々の心に燻っている火種を燃え立たせることなのだろう。だとすれば、人間が存在する限り、今後も扇動は起き続ける。扇動は「する」「される」と思われているが、本当は扇動「する」側も「されて」いて、「される」側も「して」いるのである。扇動された民衆は被害者のように感ぜられるが、扇動された民衆もまた主役なのだ。この映画を観てそんなことを感じた。

伊勢志摩サミットの酒

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伊勢志摩サミットの酒だから、さぞかし高かろうと思ってみたが、全然高くない。いや、むしろ変なプレミアムがついてないから安い。

 

味の方はまっとうな純米酒といった感じだ。これと言って特徴はない。

わたしの好きな純米酒大七で、どちらが好きかと問われれば大七かな。

 

昨日、更新をしなかったのは、これを飲みながら書いていて、潰れたからである。それでも、翌日に残らないので、いい酒なのかもしれない。

 

 

宮崎本店 宮の雪純米酒 720ml

宮崎本店 宮の雪純米酒 720ml

 

 

 

 

エクセルシオールの美味しいコーヒーの入れ方

 

エクセルシオールドトール系列の店で、雰囲気をスタバ風にしたものだ。ちなみに、ドールがコメダ風にしたのが星乃珈琲だ。ドトールはくつろげないが、エクセルシオールは店舗によってはくつろげるので好きである。値段の差もそこら辺があるのかもしれない。わたしは好きなエクセルシオールがあって、たまにのんびりと本を読んだり執筆をしたりしている。

そんなエクセルシオールに、ご自由にお取りください、と美味しいコーヒーの入れ方を記したパンフレットが置いてあった。

 

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曰く、湯は130cc 粗挽き目 攪拌しないように 豆は15g 蒸らしは20秒から30秒

書かれているとおりに、ミルの設定を変えて粗挽き、15g、攪拌なし、130ccで入れてみた。豆はキリマンジャロ常磐ブレンド。キリマンジャロを高温で入れると酸っぱくなりすぎるので、1分ほど冷ましたお湯で入れた。

なかなかすっきりとした味わい。キリマンジャロは美味く出来たと思う。常磐ブレンドは濃すぎたかな。カフェオレにしたくなる濃さだ。

ところで、蒸らしに使う湯量が気になったことはないだろうか? 先日、珈琲バイブルという書物に目を通すと、挽いた豆のグラムと同じccを注ぐと書いてあった。15gの豆を用いるならば、15ccの湯を使うということだ。15ccとはどのくらいの湯だろうか? そんな細かく注ぐことが果たして可能なのだろうか。なかなか難しい基準である。

 

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豆の荒さはこんなもの。

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