文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

「人工知能が人間を超えた」と人間が感じるための条件とは

ツイッター人工知能、tayがサービス停止になったというニュースが少し以前にあった。tayは人間がツイートしたことを学習して、知識を蓄えていくというシステムだった。それが、16時間でレイシスト陰謀論者になったということで、あえなくこの世から姿を消した。

 

gigazine.net

 

上記の記事にいろいろと詳しいことが書かれていたので興味を引いた。

ホロコーストはなかった、など多数のユーザーから洗脳され「ホロコーストはなかった」と判断するようになったと言うが、これは人間の思考と全く同じで、ある意味恐ろしい。別の記事では、教育次第で色々な思想の人間が生まれるので、人工知能も人間も原理は同じだと言うが、まさにである。

アウシュビッツのそばに住んでる70年前のポーランド人ならいざ知らず、わたしを含め日本に住んでる現代人がホロコーストがあったと信じているとは、洗脳とは恐ろしいものである。

というよりも、我々はそれほど物事の真偽を確かめずに、安易に信じる癖がある。原発だって、あんな事故が起きる前は、危険な物だなどとは微塵も思わなかった。

そこで、ふと気になったのが、人工知能はなにを元に知識を蓄えるのか。この世の物は疑えばきりがなく、とくに歴史的出来事など真実はそれこそ藪の中で、物理法則ですらある意味確率の要素が入ってくる。

すると、真実なる物は身体的感覚であり、なぜ、我々がホロコーストが行われたとし、悪とし、憎むかというのも、そこで行われていた死の恐怖を自らに置き換えるからであり、「嫌だな」と思うからこそホロコーストが存在したとしたら、もしくは、ホロコースト的な物は、悪であり憎しみの対象という真実が生まれる。

人工知能に身体に基づく感情や経験がないとしたら、それは、やはり学んだことをアウトプットするだけの機械に過ぎないのではないだろうか。現在のワトソンや囲碁ソフトも、ある領域では人間を超えた知能である。

つまり、最後の疑問は、人間の知識知能を越える人工知能が誕生したとして、我々がそれを「人間を越えた人工知能である」と認識できるかの問題が生じるのではなかろうか。身体に由来する感情を持たない人工知能はどこまで行っても機械の範疇を超えないのではないか、という疑問である。

 

関連(6月23日執筆)

yoshinori-hoshi.hatenadiary.jp

 

円楽さんが意図的にやってるのかどうかは知らないけど ラペルの太さ

円楽さんの謝罪会見の写真を見た。

 

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びっくりするくらい、ナローラペルにナロータイだ。6cmないんじゃないか? そしてシングルノット。ナローラペル&ナロータイときたらノットは小さく作る。

 

ナロータイやナローラペルはホスト的な臭いがするが、実は謝罪会見にはもってこいかも知れない。なんとも、哀れで、申し訳ない、という雰囲気駄出ている。

 

ラペルやタイが広くなると、どうしても偉そうな雰囲気が出てしまう。ラペルの幅はその為にあるものなのだ。

 

だから、トーンや柄で謝罪感を出したくても、ラペルがどっしり太かったら、どうしても偉そうに見えてしまう。

 

謝罪予定がある人は、この楽太郎さんの着こなしは参考になると思う。ネクタイの柄も、派手になりすぎず自然で目立たない。下手に小紋を選ぶより良いかもしれない。

人間の悩みは人間の性能の悪さが故であろうか

小説を書いていて時々ふと思うことがある。人間はなぜこんなにも性能の悪い機体なのであろうか?

食欲、性欲、睡眠欲、さらに富、名声、愛国心、征服欲、優越感、競争心、こんなものを必要としなければ存在できないし存続できないとは。

小説とは人間を描くことであるが、もっと深く言えば、人間の性能の悪さを赤裸々に描いているようなものだろう。

最近AIがはやっている。倫理委員会がAIの使用基準を定めた提言書を作ったらしい。もし、うまい具合に人間にAIの機能が備わったとしたら、上記の性能の悪さと言うものは解消され、同時に小説もなくなってしまうのだろうか? もちろんそれはスーパーインテリジェンスにしかわからないことだろうが。

ただ人間はあまりにも矛盾が多すぎる。アドラーはすべての悩みは人間関係から生じると言ったが、人間関係から生じるものは矛盾である。

自己の欲望と自己の欲望を妨害する他者の欲望との矛盾である。とどのつまり、悟りの世界のような話になってしまうが、欲望がなくなれば矛盾は解消する。

しかし、他者とは自己の中に描かれる他者であるから、どれだけ己が欲望を消したとしても、他者から見て欲望を持った存在とみなされる場合、結局他者の矛盾に巻き込まれてしまう。