Yoshinori Hoshi Official blog

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログです。映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係など、思うところをほぼ毎日更新してます。

神と増田喜十郎 を読んだ。

筋トレはだいたい順調である。

昨日はスクワット百回。今日は腕立て伏せ百回。

アームカールもどうにか百回出来るようになってきた。

目指せ100日!

さて本題。

 

忘れられたワルツ (河出文庫)

忘れられたワルツ (河出文庫)

 

 

忘れられたワルツに収められている。


女装が趣味のお爺ちゃんの半生を描いている。これはこれで、非常に面白い。ただ、わたしの読解力が足りないせいか、神がなんのために出てくるのか、さっぱりわからなかった。出てこなくても、この作品は十分に成り立つし、出てくることによって意味不明になりかねない。解説を読んで、なおさらわからない。

おそらく、著者はこの神を出したときに、漠然とした役割を感じていたのだろう。プロットなどという無粋なものは持たず、直感で書き進められた作品だと思う。しかし、物語が終盤に近づいて、神は活躍も出番もないまま、とってつけたように現れて終わってしまう。そんなところではないだろうか。これは、否定的に述べているのではない。文学はそういう曖昧なところ、行き当たりばったりなところ含めて文学であり作品だと思う。そもそも、どの部分が面白いかなどは読者によって違うので、あれが必要でこれが無駄、などは言えないのである。

 

 

 

新宿の喫茶店 珈琲凡に行ってきた

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行こうと思っていったわけではなく、時間が余ったので喫茶店を探していたらあった。ランチよりも高額な値段に腰が引けたが、たまにならよかろうと思って入った。

 

最近の東京はどこに行っても観光客だらけで、インバウンドが大成功していることはわかるのだが、辟易しないでもない。新宿も観光客だらけ、店内も観光客がたくさんいた。

それなのに、定員は一人だけで、大わらわである。

一番安いコーヒーが1190円である。(190円の間違いではなかろうか!?)

1200円を切る良心的な価格だ。

味は、最高である。

一口飲んでビビった。透明で、それでいてコクがあり、コーヒーの複雑な味わいが堪能できる。コーヒー好きは一度味わう価値がある。

30gの豆で210cc入れているらしい。コーヒーは紅茶みたいなポットに入って出てくる。もう少し入っていたような気もする。

ポットに入って出てくるので、最初はブラック、次はミルク、砂糖、などと楽しむことが出来る。

しばらくすると観光客が帰って、店内ではわたしとカップルだけとなった。静かな店内でクラシックが流れている。この時間は心地いい。小説のネタを考えていた。

 

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器も1500脚そろっていて、カウンターだとみているだけで楽しめる。わたしは一見なのでウエッジウッドぐらいが出てくる。

 

さて、30gで210cc入れると美味いコーヒーが出来るのかと帰って早速やってみた。

 

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ただの煎じ薬であった。

ルックスライク を読んだ

 

 ↑連続短編。ルックスライクはこの中の一遍。

 

連続短編の一つなので、これだけで評価していいものか迷う。この作品だけでは、単に父親の昔話と、息子の現在が交差するだけで、しかも、途中からうすうすわかってくるので、予定調和で終わり、なんとなくフラストレーションが溜まる。

だが、このルックスライクは連続短編の一つらしいので、その前後の話があればまた別の感想を持つと思う。

連続短編と、短編は別物だとおもう。この「日本文学100年の名作第10巻」には、連続短編の中から、切り出された作品が多いが、連続短編の中の一つを、短編として読むのはいかがなものであろうか。作者がバリバリ存命中活躍中なので、連続短編のうちの一つを載せて、本体を売ろうと画策しているのでは、などと勘ぐってしまう。

ルックスライクはそういうわけで、正しい評価は下せないと思うのだが、文章や比喩や会話などは一級品である。例えばこんな感じだ。

【「仮面ライダーにストロンガーっていうのがいたんでしょ。何代目かに」と織田美緒は、徳川家の将軍の話をするかのように言う。】

 

 

 

 

仁志野町の泥棒 を読んだ

 

鍵のない夢を見る (文春文庫)

鍵のない夢を見る (文春文庫)

 

 ↑これに入っている。

 

この作品は朝顔とは逆に、最後のシーンが最初にあって書き始められたのではないのかと考える。

ネタバレをするが、小学生だった主人公は転校生と友達になる。その転校生の母親は泥棒で、クラスメートの家などに手当たり次第に入って金を盗む。しかも、なんども繰り返す。

小さい町なので、警察には届けない。町中で、あの人は泥棒と言うことになる。転校生が転校を繰り返す理由も、泥棒をしすぎて住めなくなったからだ。

泥棒も普段は普通の母であり、優しい人なのだ。だからこそ、泥棒という病癖とギャッ

プが印象的。

ある日、主人公はその転校生と買い物に出かける。そのとき、小さな消しゴム一個を彼女が万引きする場面に出くわし、それをとがめる。そして、それからその転校生とは疎遠になり、卒業してしまう。

高校になったある日、ばったりその転校生と出くわすのであるが、彼女は主人公の名前を思い出せない。という話。

なぜ思い出せないのか、ここがいろいろ読みかたがあって面白い。彼女は心に蓋をしてしまったのか、それとも、万引きをとがめられたのを気にしているのか。わざわざ彼女が共通の友人の名前を出すところも面白い。

現実にもいるではないか。絶対覚えているはずなのに忘れたふりをする人間が。この作品は、そんな現実にある出来事から敷衍して物語を作っていった、そんな小説なのではないだろうか。

 

 ↓これにも入っている。

 

朝顔 を読んだ

 

少年譜 (文春文庫)

少年譜 (文春文庫)

 

 ↑に収録されている。

 

朝顔の夢を見た。の書き出しで始まる。老年の男が少年時代の夢を見るのである。そこから、過去の自分を回想する。

おそらく、この作品は最初に最後まで見通せるプロットなどはなかったであろう。朝顔が出てきて、弟とその朝顔を散らせた場面、その次に祖母の場面、そういうものを一つ一つ付け足していって一つの作品になっているのではないかと思われる。

プロットがないから破綻しているかと言えば全くそんなことはなく、むしろ読者は、この作品の主人公の思考のように、過去へさかのぼり、その埋もれていた記憶を拾っていくことが出来る。素晴らしい纏まりのある作品ではないかと思う。小説の物語の作り方として、一つの参考になる作品。

 

↓毎度のことながら、これに入っている。

 

今週のお題「カバンの中身」

今週のお題「カバンの中身」

 

特に面白いものが入っているわけではない。

必ず入れているものは、

 

1手帳

2ペンケース(万年筆、マルチペン、消しゴム)

3ノート(A5とA6のを一冊ずつ)

4ポケットティッシュ

5ビニール袋

6各種ポイントカード(財布に入りきらない分)

 

このくらいだろうか。この中で普通の人と違うのは、A5とA6のノートが入っていることかも知れない。

A5は小説を書くために。A6は日々のメモなどで使っている。

ビニール袋は最近スーパーで買い物をすると袋が有料なので古いビニール袋を使い回している。雨の日、折りたたみ傘を入れるのにも役立つ。

 

 

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トモスイ を読んだ  〆 を読んだ

最近日本文学100年の名作ばかり紹介している。

短編で小説自体短いし、感想も短いので二編まとめて。

 

 

トモスイ を読んだ

 

トモスイ (新潮文庫)

トモスイ (新潮文庫)

 

 

 

得体の知れない釣りに出た二人の話。人間のつながりを描いている。真っ暗な海に二人で船を出す。それだけで、人間の親密度は増す。その中で釣り上げる不思議な生物。その生物には穴と突起があり、そこから中の体液のようなものを据える。二人で両方から吸って、どんどん小さくなる生物。しかし、二人はそれに比例して一つになる。

こういう作品はまじめに考えるのではなく、抽象画のように楽しんだ方がいい。タイトルもふざけている。たぶん、共に吸うから、トモスイ。

 

 

〆 を読んだ

エムブリヲ奇譚 (角川文庫)

エムブリヲ奇譚 (角川文庫)

 

 ↑に収められている連続短編。山白朝子は乙一さんの別名義。

江戸時代だろうか、それとも明治初期だろうか、二人の旅人が不思議な漁村に迷い込む。その漁村は丘を登り切った上にある。つまり、海が高い位置にある。そのような演出で幻想を作り上げている。

その漁村ではあらゆるものが人間の顔に見える。木も魚も米粒も。主人公はそれらが恐ろしくてなにも喉を通らず、衰弱していく。しかし、一緒に旅をしていた蠟庵は平気で食べる。

主人公はついに腹が減りすぎて、飼っていた鶏を潰して食べてしまった。そして、病気が回復して町に戻り、そのことを悔やむ。袋の中から鶏の羽根が出てくる。はたして、あの漁村は幻想であったのが現実であったのか。虚と実の境目をさまよう小説。