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Yoshinori Hoshi Official blog

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログです。映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係など、思うところをほぼ毎日更新してます。

「エリザベス」を観た

10 映画

 

エリザベス (字幕版)

エリザベス (字幕版)

 

 

面白いのだが、時代劇の感じがしないのである。エリザベスIは1533年生まれなので織田信長よりも1歳年上だ。

この映画、少々ふざけすぎているというか、間が抜けているというか、緊張感がないのである。

ロバートは女王と恋仲であるが、女王から嫌われるきっかけが、「じつはロバートは既婚者」であることがバレる、みたいな。女王とロバートは幼なじみだし、昔のイギリスなんて村みたいなものであるから、知らないわけがない。

ウォルシンガムが裏切ったか! と思いきや、10秒後に裏切った振りだっただけとわかるし、スコットランドのメアリーはあんな大物ぶって瞬殺されるし、アンジュー公はただのキチガイと描かれている。

007のダニエルグレイクは007みたいな感じで出てきたと思いきや、拷問されてベラベラ喋るし。

見所はジェフリー・ラッシュが格好いいところだろうか。

ちなみに、「エリザベス:ゴールデン・エイジ」という続編がある。

 

 

 

 

 

トランプ大統領の就任式に民主党の議員が出席しないらしいが……

19 政治経済について

わたしは12月の株価予想した。12月1日が18,513円で12月30日が19,114円なので、ズバリ外した。しかし、昨日、年初来安値(まだ18日しかたってないが)18,650円を付けたので、持っていた日経インバをどうにか処分することができた。そして、下がり続けるインバをまた買ったので、もっと下がってくれないと困るのだが……

 

yoshinori-hoshi.hatenadiary.jp

 

さて本題。

一般投票では200万票ヒラリーの方が多かったかどうか知らないが、そういう制度なのだから今更文句を言っても仕方がないだろう。

イラクやアフガンが全然民主主義っぽくないのは、選挙やって決めても、「そんな選挙認めん!」というわけで、選挙そのものが意味をなさないのである。

もともと、多数決というのは、どちらになっても受け入れ可能な問題を決める方法であり、絶対に受け入れられないものを多数決で決めることはできない。多数決で決めれば多数派が勝つに決まっている。

ただ、民主主義マンセーとやっているうちに多数決こそもっとも正しい決定方法のような錯覚が生まれて、多数決で決められないことまで多数決で決めようということになり、今日のような問題が起こっているのではなかろうか。

ブレクジットにしても、ロンドンに住んでる人と田舎に住んでる人では、同じイギリス人といえども生活基盤は全然違う。アメリカも田舎と都市部では違う。価値観も違う。

国民国家が崩壊した今、国民投票自体が不可能なのだ。地球全体で地球民投票などやって何かを決めてしまったら、恐るべき弾圧が起こるのは想像に難くないだろう。

では、どうすれば良いのか。もし本当にトランプを認めないというのなら、反トランプは新しい国をつくるしかない。自由のカテゴリーに新しく「建国の自由」を加えなければならない。ロンドンはイギリスから独立するしかない。

2016年は色々あったが、2017年はもっと色々あるぞ。

 

 

[生声CD&電子書籍版付き] トランプ演説集

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ジュラシックワールドを観た

10 映画

恐竜がリアルである。ネタバレも何もない。ただ、恐竜が暴れて人々がパニックになるという話し。登場人物も、実に自分本位で素晴らしい。

いかに迫力があり、闘いが秀逸で、パニック度合いが強いかにこの手の映画の成否はかかっている。わたしはかなり楽しめた。五歳児と三歳児と一緒に、「うわー! こえぇー!」とか騒ぎながらみんなで楽しんだ。

そういう映画だ。ユーガットメールみたいな作品が観たくてこれを観る人間はいないと思う。映画を楽しむには、TPOをわきまえるのは重要で、今どういう映画をチョイスすべきか。気分によって、作品は名作にもなり駄作にもなり得る。ジュラシックワールドの評価が低いので、そんなことを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週のお題「朝ごはん」

今週のお題「朝ごはん」

 

わたしは大体米を食べる。パンはたまにだ。なぜなら、パンは高いから。それに、米なら常備してあるけれど、パンは前日に買っておかなければならない。パンと米、どちらも好きである。サンドイッチは大好物の一つだ。

 

今朝は何かのんびりしていて、安かったので買ったほうれん草を茹でた。あと、粕漬けが余っていたので焼いて食べた。もちろん、米である。

 

粕漬けは焦げやすい。ちょっと油断するとすぐに焦げてしまい、焦げの味ばかりになる。一週間くらい前に買ったもので、「5日以内に召し上がって下さい」と言われた。でも、腐りかけが美味いのだ。

 

粕漬けは買ってすぐには食べられない。大体2.3日後が食べ頃だという。わたしは5日以降の方が美味しい気がする。

 

ところで諸賢は小麦が目の敵にされているのをご存知だろうか? 本屋によく行く人は、以下のような本を目にしたことがあると思う。曰く、日本人に小麦は合わないらしい。もし本当なら残念だ。わたしはパンやパスタが大好きだから。だとすると、外人は米が合わないのだろうか?

 

 

小麦は食べるな!

小麦は食べるな!

 

 

 

2週間、小麦をやめてみませんか?

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長生きしたけりゃパンは食べるな (SB新書)

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「いつものパン」があなたを殺す: 脳を一生、老化させない食事 (単行本)

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小麦で起きる現代病: “パン好きの人”ご用心! (食べもの通信ブックレット)

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前田さんは本当に田んぼの前に住んでいたのか

08 その他雑感

交差点で信号待ちをしていたら、隣にいたペアルックのカップルがこんな会話をしていた。

「だから前田さんは田んぼの前に住んでたんよ」
「なんで?」
「日本人の名前はそうやって決まったんよ。田んぼの前だから前田」
「なるほど」

田んぼの前だから前田。田んぼの横なら横田。田んぼの後ろなら後田。田んぼの上なら上田。田んぼの下なら下田。田んぼの脇なら脇田。

田んぼをたくさん持ってるのが多田さんで、三つしか持ってないのが三田さん。もう少し持っているのが八田さん。すげー持ってるのが百田尚樹。正確な面積が分かるのは五反田さん。

田中さんと中田さんは田んぼの中に住んでたのだろうか?

浅田、深田、田んぼに浅いとか深いとかあるのだろうか。

剛田さんの田んぼは強い田んぼなのか? 山田さんは山に住んでたのか、それとも田んぼに住んでたのか。

熱田さんの田んぼは熱いのだろうか。

 

「みょうじ」は名字とも書くが苗字とも書く。

苗である。どうも田んぼとは深い関係がありそうだ。

苗字の本もいっぱい出ていた。

 

苗字の謎が面白いほどわかる本 (中経の文庫)

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少しかしこくなれる名字の話 (イラストですっきりナットク!!)

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なんでもわかる日本人の名字 (朝日文庫)

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日本の名字

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名字の謎学: 「武内」が東、「竹内」が西に多い理由とは? (KAWADE夢文庫)

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「ダビンチ・コード」を観た

10 映画

壮大な話なんだが……。

以下ネタバレ注意

キリストの末裔の殺害を狙う団体と、末裔を守る団体の話。主人公の教授は著書のサイン会でパリにいったら、その争いに巻き込まれてしまう。

昔のRPGみたいで、Aに行くとBを示唆され、Bを解くとCが出てきて、みたいな感じで正直疲れる。

一番の謎はリーの突然の裏切りである。リーが導師なら、教授たちが家に来たときに暗号ボックスを手に入れてしまえば良いのではないか? なんで、わざわざ誘拐された振りなどするのだろうか? さらに謎なのは、誘拐された振りをした後に、なんの脈絡もなく自ら黒幕であることをバラすのである。あのまま、消えていれば良かったものを。

さらにさらに謎なのは、リーは教授が暗号を解いて地図を取りだしたのを見抜いていたにもかかわらず、暗号ボックスが破壊されて取り乱している。お粗末すぎる黒幕である。小説版だと、この辺のつじつまは合っているのだろうか?

 

 

 

なぜノンアルコールが増えたのか?

06 人間、または人間関係について

またまた昨日のつづきであるが、では何でノンアルコールが増え始めたか。当局の取り締まりが厳しくなったからだろうか? それもあるだろうが、もう少し真面目に分析すると、所属意識の希薄化、分散化、が大きいのではないだろうか。

これは、会社なり、団体なり、協会なりに所属する、自分はこの組織の一員なのだ、という自己認識がわたしを含めどうも薄らいでいるような気がしてならない。

もう一歩推し進めると、自己が分散してしまっているのだ。わたしの例で言うと、「おれって誰?」という感じ。A協会の新年会にでるわたしと、B組合の新年会にでるわたしと、C社の新年会にでるわたしは、三人とも別人である。もちろん、それぞれでの役割が違うので、キャラが違うのは当然としても、共通部分が見当たらないのだ。本来、同一人物ならば、同一人物としての共通点がありそうなものなのに。

つまり、○○に所属しているというプライマリーがないので、どこへ行っても変幻自在にキャラを変えることが出来る。そのキャラはその場限りのものなので、終わってしまえば夢のように儚く何も残らない。所属意識などは生まれるべくもない。

そこで、昔の人たちは酒のパワーで本性をあぶりだそうとしていたのかもしれない。だが、いまやあぶり出すべき本性がない状態だ。だとすれば、酒を飲んで魂のつきあい、そんなものも存在しないのである。酒を飲んで本性が出るという減少がないならば、飲ます必要もないし、飲む必要もない。

例えば、「腹を割って話す」という言葉がある。この言葉、どこか違和感を感じないだろうか。

「腹を割って話そう」
「ええ、ぜひ、腹を割って話しましょう」

この二人に割る腹はあるのだろうか?

本当に腹を割って話すときは、こんな枕詞を必要としないはずである。

気心知れた友人たちと「飲もうぜ」と集まるときに車で行く馬鹿がいないように。