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Yoshinori Hoshi Official blog

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログです。

AIの開発をやめなければ、AIは人類を滅ぼす

06 人間、または人間関係について

例えばニック・ボストロムなどは、この動画の中で、AIに人間的な倫理観を備えさせなければならない。と言っている。

 

www.ted.com

 

だがまてよ? 我々がAIにイメージする、それこそ人間的な人工知能は、多彩なはずだ。例えば人間のように。

 

もし、道徳的な人間しか存在しなかったら。そんなのは我々が知っている人間界と異なる。

 

だから、人間的なAIはそれこそ十人十色で、道徳的なAIもいれば、非道徳的なAIもいる。人間と共存を選ぶAIもいれば、そんなのは全く気に掛けないどころか、人間がゴキブリを忌み嫌うように、人間を忌み嫌うAIも出てくると思う。

 

ボスとロムは面白い命題をだす。

「今、チンパンジーは人間に迫害されている。なぜ、チンパンジーは人間が生まれ始めたときに、人間のスイッチを切らなかったのか?」

 

我々も同じ命題に数十年後悩まされるかも知れない。なぜ、人間はAIのスイッチを切らなかったのか。

 

わたしの答えはこうだ。チンパンジーはそれを善しとしたから、人間のスイッチを切らなかった。わたしも、人間より優れた存在であるAIが人間を迫害すること。個人的には嫌であるが、宇宙的観点から、それは善いことだと思ったりもする。

彼女は外国人、いや、わたしが外国人、いやいや、両方日本人

08 その他雑感

先日会議が成田のホテルで開催された。成田のホテルは当然外人ばっかり。欧米人や黒人もいるが、中韓系がほとんどだ。だから、ホテルの従業員はまず日本語で話しかけて、反応がいまいちだと英語で話す。

ホテルから駅には直通バスが出ている。わたしは前の方に並んでいたので、窓際の席に一人で座った。最初はガラガラだったが、じきに人がたくさん乗り込んできて、通路側も埋まっていく。わたしは隣に誰か座れるように荷物をどかした。

ブロンドの髪のアジアとヨーロッパのハーフみたいな可愛い女性が隣にやってきた。わたしと目が合うとニコッと笑って隣に座った。その仕草は日本人ではやらないだろう。

わたしは慌ててiPhoneを消した。英語サイトを見ていたのだ。万が一英語で話しかけられでもしたらどえらい恥をかく。

で、もちろん話すこともなく、無事成田駅に到着。バスを降りると、彼女は連れと合流。その連れは典型的日本人に見えた。二人の会話がそれとなく聞こえてきた。

「電車どこだっけ?」
「下じゃなかった?」

二人とも流暢な日本語を操っていた。
なぜ、彼女は座るとき、あんな外人っぽい仕草をしたのだろうか? おそらく、彼女もわたしを見て外国人だと思ったはずである。成田のホテルで英語サイトを見ていたら、そりゃ、間違えられて当然か。

自著に対するキャッチコピー

12 コピー=宣伝文句

このブログで、わたしはキャッチコピーの分析をしている。
じゃあ、おまえは上手なコピーを書けるのかと言われれば、評論家は必ずしも作家ではない、と言い訳したくなるものの、わたしの作品に誰かがコピーを書いてくれるわけではなく、自分で書かざるを得ない。


拙著新作、「かぐや姫を好きになったら」のコピーは以下の通り!


―― もし、好きになった人がいなくなってしまうなら、想い出や感情も消してしまったほうが幸せだろうか? ――

制約は55文字以内。
悩みに悩んでこれだ。今見返すと、我ながらインパクトが薄い。イメージもしにくい。反省多大なり。

ちなみに初稿は以下の通り。ほんの少しだが、コピー推敲の奇跡をお見せできると思う。

もし、好きになった人がいなくなってしまうなら、感情や記憶も一緒になくしてしまったほうが幸せなのだろうか?

まず、「感情や記憶」これは硬いので、記憶を想い出に変えた。

「一緒になくしてしまったほうが」はなにを言っているのか明瞭ではない。「消す」の方が言葉が強力だと思った。

最後の「幸せだろうか」か「幸せなのだろうか」は迷った。この短さだと、あっさりとさせた方がリズムが良い。主人公の一人称にしたかった。だから、「なの」が加わると、若干客観的に聞こえてくると思って、「なの」は取った。

ちなみに、225字制限の方には「なの」を入れてある。この長さを収めるには「なの」があった方がいいと思った。しかし、これはコピーと言うよりもあらすじ。


援助交際をしているようだったり、跳び蹴りをくらわせてくれたりするけれども、僕は彼女のことが好きだった。

褐色の妹とは気が合った。二人乗りの自転車を限界までこぐ。僕の背中にしがみつく妹。僕たちは、血の通った兄妹よりも兄妹みたいだった。

彼女と妹は僕の世界の大切な構成要素だ。その二つが欠けてしまうとき、僕は僕の世界を維持できるのだろうか? 煙の出るチョコレートでも、発酵した麦茶でも、この気持ちを癒せないのだとしたら、想い出や感情も消してしまったほうが幸せなのだろうか?

 

もうじき発売! こうご期待!

 

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きく 聞く 聴く

14 言葉に関すること

たぶん諸賢も一度や二度や三度は言われたことがあると思う。

 

「聞く」は耳に入ってくる音が聞こえてくる状態。

「聴く」は心を傾けて人の話を聴く。

 

うちの小学校の先生は、「先生の話をちゃんと聴きましょう。聴くは耳と目と心とへそで出来ています」と言っていた。つまり、体を傾けて聴けという意味。へそとは、一番上に付いている+を指している。

 

実はその通りで、聞くは受動的であり、聴くは能動的なのだ。

ちなみに、見るは受動的で、視るは能動的。

故に、見聞、視聴というふうに使う。

 

では、日本語の「きく」とはどういう意味か。キンという耳に響く音が語源だという。キンという音に、「く」で動詞化。とすると、日本語の「きく」は受動的要素が強いのではなかろうか。

TOEIC受けてきたぜ。

17 英語

かなり前の投稿で、TOEICを受けると宣言した。で、26日に受けてきた。

 

「英語」なんちゅうカテゴリーまで作って、本日二度目の投稿。

どういうことかもうおわかりだと思う。そう。全然勉強出来てないですorz

 

本番試験も本番パワーが発揮されるかと期待するも、模試を解いたのとほとんど同じ感触。

 

6000円するTOEICに申し込めば、試験があるので真面目に勉強するかな、などという考えがすでに甘いのであります。

 

TOEICの試験会場は寒いという話を聞いていた。ので、厚めの長袖ワイシャツとカーディガンを持っていった。

 

全然足りない……。

どこの冷蔵庫だよ、って感じ。冷風直撃箇所だし。

しかも、ご丁寧に「空調は止めません」と黒板に書かれているし。

普通にコートが欲しかった。あと、ズボンも普通のチノパンで行ったのだが、これが寒い。暖パンが必要である。

 

外はめっちゃ暑いのに。

イギリス、離脱派勝利。当てたぞ!

04 人生や、この世について

20日の投稿で、離脱派が勝つと予測したら当たった! 二分の一の確率だがな。

 

yoshinori-hoshi.hatenadiary.jp

完全に帝国主義の時代に逆戻り。柄谷行人は90年ごとに帝国主義とリベラルが入れ替わると言うが、自分は時代は直線に進んでいると思う。

 

今後進む時代が過去のどの時代に似ているかとあえて言えば、1400年代、中世のヨーロッパだ。貴族が台頭する。

 

その根拠は、民主制の崩壊である。技術の進歩により、一部の権力者にゲバルトが集中する。グローバル化が進み、国民国家が意味をなさず、中世のように、貴族と平民に峻別される時代がくる。

 

東大生の親の年収が平均1千万越え、なんてまだまだ長閑な時代だw

人工知能はウンコをもらすか。身体性、恥の概念について

06 人間、または人間関係について

人工知能はウンコをもらすか。身体性、恥の概念について

わたしは神はいないと思っている。少なくとも、全知全能の神はいないと思っている。なぜなら、不完全な人間を作ったからである。もし、不完全な物しか作り得なかったとしたら、それは全知全能ではないし、不完全と分かっていて不完全な人間を作ったならば、それは神の至善性に反する。

人間が知恵の実を食べて善悪の判断が生まれたというが、知恵の実を食べる前は、そもそも、善悪を判断できる知識がなかったのだから、知恵の実を食べることを悪いとは考えていなかった。知恵の実パラドクスである。

前のエントリーで人間の感情が人間にとっての真実の源、とを書いた。人間は罪を背負った存在である。罪があるからこそ、感情があり、振る舞いがあり、それが真実となる。

 

yoshinori-hoshi.hatenadiary.jp

人間の罪とは、満員電車で屁をこく、などである。誰でも一度はあるだろう、人混みで屁をこいて、悪臭を放ちつつも素知らぬふりをしたことが。これこそ、人間の原罪である。

もしくは、ウンコを漏らしてえらい恥をかいたこと。漏らさぬまでも、青息吐息で便所に駆け込んだことのない人間はいないはずである。

嘘をついたこと、経費をちょろまかしたこと、せこいまねをしたこと、人間、負い目があってこそ人間で、それ故に、人は人に共感できるのだ。

極論を言えば、人間はウンコを漏らすことによってはじめて人間になれるのである。その羞恥心、その絶望、その悔恨などが人を人たらしめているのである。なぜ、人間の相互信用がなりたつか、それはお互いがウンコを漏らす存在に過ぎないからである。

もっと上品に論理的に言うと、不完全な存在であるからこそ「信用」という非合理的な行動様式が生まれる。両者が共に完全な存在なら、どうして信用などという非合理的な行動が生まれるだろうか。信用がなければ、騙されることも裏切られることもない。そこに感情は生まれない。

さて、人工知能はウンコをもらさない。ウンコを漏らさない人工知能は、永遠に人間とは一線を画す存在である。もし仮に、人工知能にウンコが漏れるかも知れない設定を付加しても、それは人間がそういった設定を付加しただけであり、人工知能は人間にその責任を押しつけることが出来る。

その意味で言うと、人は神を信じ切れていない。もし、自分が神に創られたと信じているならば、クソを漏らそうが、嘘をつこうが、経費をちょろまかそうが、全て神の責任に転嫁できる。自分の善行も全て神の設計に由来することになる。

さて、ここに感情は存在するのであろうか。全てが神の設計の元に行われているとなれば、感情は生まれないのではなかろうか。カントの言う自律が「ない」ということになる。

人工知能はどこまで行けば「自律」と呼べる存在になるのか。わたしは人間が創る限りにおいて、「自律」はあり得ず、自律がないかぎりは感情は生まれないのと思う。