Yoshinori Hoshi Official blog

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログです。映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係など、思うところをほぼ毎日更新してます。

ハーラン・エリスン 「クロウトウン」

ハーラン・エリスンのクロウトウンを読んだ。

ヒトラーの描いた薔薇で頭にハテナマークが浮かび上がりまくったので、「地下に広がる神話的迷宮世界を描いた傑作『クロウトウン』by解説」を読んでみたくなったのだ。

 

なんとなくハーラン・エリスンの魅力が分かった気がする。

 

以下ネタバレ

 

本作も荒唐無稽だが、その世界の雰囲気、文体、質感、そういうものが素晴らしい。

内容は本当にくだらない。

女とやりまくりの男が、また女を孕ませて、掻爬する、というところから物語は始まる。掻爬したものをトイレに流すのだが、女がそれを拾ってこいと無理難題を押しつけられ、とりあえずマンホールの中に入る。すると、そこには乞食やワニや地底人がいる、というお話し。

 

こう書くと身もふたもないが、マンホールの話だけに蓋はある。文体が秀逸なのだ。

例えば、マンホールを開けたときの文章。

「マンホールの口から、汚れた都会のにおいがたちのぼってくる。ひんやりと冷たい、うち捨てられた風。鼻毛がむずむずし、僕は顔をそむけた」

等である。

短編集なので、まだまだ話は入っている。楽しめる一冊。

 

 

 

「ヒトラーの描いた薔薇」の意味がまったくわからない

ハーラン・エリスンヒトラーの描いた薔薇を読んだ。短編集の表題作にもなっている。

 

ただこの作品、ヒトラーは脇役というか、端役というか、友情出演というか、庵野監督がバスの運転手でシンゴジラに出演しているような、そんな扱い。話の筋とはまったく関係ない。

 

以下ネタバレ。

 

家政婦と恋人は情事が主人にばれて家を追い出されることに。しかし、恋人は主人含む一家を惨殺。そのまま逃亡。逃げそびれた家政婦はリンチのあげく殺害され、しかも地獄に落ちる。

 

どういう手違いか恋人は天国へ。

 

ある日、地獄の扉が開いて、家政婦は地獄から逃げる。そして、天国の恋人と会うも、神によって再び地獄へ。

 

作品としては非常に面白い。とくに、大悪人であるはずの恋人が天国へ行ったというのは笑える。

 

ただ、題名のヒトラーの描いた薔薇は意味不明だ。ヒトラーは地獄の扉が開いたときに、その他の大悪人は逃げたのに、薔薇の絵を描いていて逃げなかった、という。ひょっとしたら、ここに作品にたいする深い意味が隠されているのかも知れない。

 

地獄は逃げるに値しない、そもそも、現世こそ地獄。天国の描写も微妙で、奇妙なユートピア感が溢れていた。

 

しかし、こんなタイトルでいいのなら、シンゴジラは「庵野のバス」でもよくなってしまうような。

 

 

 

 

 

 

 

普通のしろくま発見!

f:id:yoshinori-hoshi:20171116230145j:image

 

最近コンビニのアイスはハイパーインフレで、高いのしか売ってない。私は白熊が好きなのでたまに買うのだが300円する。

 

300円もするアイスをそうそう食べるわけにはいかない。なので今日は、安い白熊を発見できて嬉しかった。

先日、コウルの前を通った

出張で神戸に行った。

神戸は横浜同様お洒落な街で、特に服飾関係は充実している。神戸と言えばCOLである。我が敬愛する落合先生のご著書にもたびたび登場する。

神戸市内のホテルに泊まったので、ひょっとしてコウルあるかなぁ、とGoogleマップで調べたら、なんとホテルと目と鼻の先。散歩がてら覗いてみた。

買う予定はないので、中には入らなかったが、外から見たら店員さんらしい人が生地を出してなにかをしていた。

小さな店だった。この小さな店があの有名な店である。

もし西に住むようなことがあったら、一度は行ってみたい店である。

 

f:id:yoshinori-hoshi:20171012175056j:plain

夏目漱石の「こころ」を聞いている。

最近、車を運転するときなど、夏目漱石の「こころ」を聞いている。youtubeの朗読である。何の気なしに聞き始めたら、面白くてはまってしまった。

 

わたしは最近、和服を着ている。古道具屋で紬と角帯を格安で買ってきたのだ。

ネットや図書館で着物の着方を調べると、まず、襦袢なるものが必要なのである。襦袢とは肌着のようなものだ。しかし、小島よしおよろしく、「そんなの関係ない」と無視して、シャツの上に紬を着ているのだ。

 

こころ、はもちろん明治が舞台。なので、大体和服で、和服に関する記述が多々出てくる。例えば「もう八時過ぎであった。私は帰ったなりまだはかまを着けていた」「この羽織はつい此間こないだこしらえたばかりなんだよ」などである。

 

襦袢について印象的だったのは以下の下りである。

青空文庫より引用。

先生と私 30 にこのような記述がある。

秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。私は先生のうちはいりをするついでに、衣服のあらりや仕立したかたなどを奥さんに頼んだ。それまで繻絆じゅばんというものを着た事のない私が、シャツの上に黒い襟のかかったものを重ねるようになったのはこの時からであった。

 

なんと、「私」も襦袢を着ていなかったのである。明治のひとはシャツの上に着物を着ていたのかも知れない。和装も、もう少し気楽にやった方が流行るのではないかと感じた今日この頃である。

 

 

こころ 坊っちゃん (文春文庫―現代日本文学館)

こころ 坊っちゃん (文春文庫―現代日本文学館)

 

 


《朗読》夏目漱石『こころ』(1)

 

 

 

今週のお題「芸術の秋」 小説は芸術だろうか?

今週のお題「芸術の秋」 

 

現在、必死に新作を書いている。ただ、小説が芸術かどうかは微妙だと思う。もちろん、小説にもいろいろなタイプがあるから、十把一絡げというわけにはいかない。ただ、あまりに論理的であったり、寓意的であったりするものは、どちらかというと、小説の体をした論文ともいえなくもなく、そうなると、どうも芸術からは距離を置いてしまっているように見える。

 

やはり、芸術は美しくなければならないわけで、論理的にねじ伏せられて納得するようなことでは、ちょっと芸術のイメージとは違うような気がする。

 

英語のartは芸術の他にも技巧や技術、などの意味もあるから、artは芸術よりも広い意味を持っていると思う。

 

わたしが小説をどうも芸術と感じ得ないのには、小説に実用性や実益を求めているからかも知れない。小説を必需品と感じているからかも知れない。

詩は芸術だと思っている。詩のような小説、というのもある。そのような小説は芸術のカテゴリーで納得できるかも知れない。

セルビッチとチェーンステッチ

この赤い糸がセルビッチ。リーバイスが自社製品の目印にと赤い色で縫ったのが始まりとのこと。

 

金色の糸で縫われている裾の部分がチェーンステッチ。チェーンステッチで縫うといい感じで色落ちするらしい。

 

f:id:yoshinori-hoshi:20100416131917j:plain

 

たかがジーパンだが、いろいろ奥が深い。一週間ほど家で履いているが、なかなか気に入っている。

 

先日男の一流品87年版という雑誌を古本屋で購入してきた。その中でジェームス三木が、「普段気を充実させよ」と言っていた。

 

こんな感じで、家ではアメカジをしている。

f:id:yoshinori-hoshi:20100501153927j:plain

 

シャツはアビレックスのワークシャツだ。これなら、四歳児に絡まれても服に気を遣う必要がない。買い物に出かけるときはもちろん875を履く。ただ、コートがステンカラーとチェスターしかないので、アメカジになりきれない。アメカジコートでもオフハウスで探すか。