文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

大門の礎苔にうずもれて七堂伽藍ただ秋の風

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わたしはこの歌を最初に見たとき、七堂伽藍が目に浮かんだ。その朱塗りの大門の礎に苔が生している。そんな光景である。
 
 
しかし、毛越寺が再建されたのは1989年。佐々木がこの歌を詠んだ当時、毛越寺は焼失して存在していなかった。故に、「ただ秋の風」なのである。
 
 
ただ、人間は不完全なものを想像できない。例えば、裸の女がバスタオルを掛けて体を隠しているような写真がある。するとわれわれはその下に想像しうる限りの美しいものを想像する。よく出来た生き物である。円の一部が隠れていても、われわれは完全な円を想像する。

 


上記のような人間の特性があるゆえ、わたしは佐々木の眼前には完璧な七堂伽藍が広がっていたのではないかと考える。実物よりも遙に美しい寺が。
 
 
やわらかリングノートの使い心地が素晴らしくてリピートしてしまった。わたしは50シートが欲しかったのであるが80シートしかなかった。

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リングを柔らかくするだけで、これほど使い心地が上がるとは予想外であった。
 

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楷書で書くとこうなる。ペンはモンブラン244G。インクはモンブランミステリーブラック。

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短歌入門

短歌入門

 

 

 

令和をボールペンで上手に書いてみる 楷書 行書

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どうだろう。5ミリ方眼なので、1センチ枠の中に書いてみた。田中鳴舟先生の硬筆新辞典を参照しているが、硬筆新辞典の令は中が「マ」だった。でも、みんな「令」が書きたいと思うし、わたしも「令」と書きたいのでいろいろな書を参照して書いてみた。

 

使用ボールペンはどこにでもある普通の油性ボールペン。

ゼブラのインレットである。 

ゼブラ 油性ボールペン インレットホワイト 黒 10本 B-BN15-BK
 

 

「令」のこつと言うほどでもないが、

① 2画目の払いは1画目より終筆の一を高く

② 3画目4画目の横棒は少し右上がりで。

③ 4画目の縦は少し内側へ

⑤ 5画目は気持ち長めで

 

「和」は

① 1画目と3画目は隙間を空ける。

② 4画目のはらいの角度を注意

③ ノ木偏と口の隙間をほどよく空ける。

 

 

行書はこんな感じ。

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練習の跡。1センチ枠は意外に小さい。

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大人のボールペン字 基本練習帳 (サンエイムック)

大人のボールペン字 基本練習帳 (サンエイムック)

 

 

イジメの構造「桜散る前に桜田散れり」

と言ったのは友人である。

 

いったい、桜田大臣とはなんだっのだろうか。

 

特に職務上のミスや汚職をしたわけではなく、言い間違いや不勉強さなどが執拗にメディアで強調された感じがする。

 

それを、世間がおもしろおかしく楽しむものだから、メディアも一層力を入れて桜田を取材する。

 

桜田に問題があるのは分かる。だから、バカにしたくなるのも分かる。相手が国務大臣であるからその是非は問わぬが、桜田問題は分かりやすいイジメの構造ではなかろうか。

 

桜田はトランプとは違い、メディアや反対派を罵ったりはしなかった。批判されてもただただ神妙に反省していた。

 

だれも、桜田をいじめているつもりはないだろう。しかし、会話の端々に、「おまえ桜田かよ」「桜田並み」「桜田みたい」失敗を揶揄する台詞が挿入されていた。

 

イジメは特定の誰かが特定の誰かをいじめることでは成り立たない。それはただの暴力とか犯罪である。イジメとは空気が特定の誰かをいじめるのである。多くの空気に属する人は、自分がイジメを行っているとは考えない。

 

今回、わたしは日本国民が桜田をいじめていたと考える。そして、桜田はイジメに屈したのである。もっとも、イジメに屈するような国務大臣は勘弁である。