忙しいのは嫌いだ。暇すぎるのも問題だ。一週間必死に活動して、一週間お休み、そんな感じがいいだろうか。そんな世の中はないだろうが。
某自治体の予算書を見ていたら、「高齢者生きがい対策に要する経費 云百万円」という項目があった。高齢者サロンとかゲートボール場の整備とかに使うらしい。
自治体の対策として生きがいを管理されているというのはいかがなものか、などと考えながらエスカレーターを上がっていたら、下りに乗っていた若い夫婦の会話が、すれ違いざまに聞こえてきた。
「ペットボトルのふた集めたの出しておいてくれた?」
「うん。出した」
ペットボトルのふたを集めると、ワクチンかなにかになり、後進国の恵まれない子ども達が助かるという話を聞いたことがある。
しかし、本当にペットボトルのふたはワクチンになって子ども達を救っているのだろうか。ひょっとしたら、ペットボトルのふたなんかに何の価値もなく、ただ集めると子どもを救うことができるというプロパガンダを政府がやっていて、国民の利他心を満足させているだけなのではないだろうか、と疑念が湧いてきた。
むかし某自治体が厳しくゴミの分別を市民に要求し、真面目な市民は資源リサイクルのために律儀に分別した。しかし、市の施設が分別に対応しきれず全部まとめて処分していた、という事例を思い出した。
みんな、だれかのために、地球や環境のために善いことをしたいと思っている。政府はその対策をペットボトルのふたというよく分からないもので、適当に行っているのかも知れない。
また、あざといものは、後進国の子どもに一切興味はないのに、積極的にペットボトルのふたを利用して、自分はこれだけペットボトルのふたを集めたと喧伝して評判に換金しているものもいる。
もっとあざといものは、これを上手く扱えば小説のテーマにもなりそうだなどと考えている。