芥川の作品、杜子春の書き出しはこうだ。
【或春の日暮です。唐の都洛陽らくやうの西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の若者がありました。】
ちょっと中国史を囓った人間なら、唐の都は洛陽ではなく長安であるとすぐに気がつく。
武則天や哀帝の時に洛陽に遷ったり、乱で成都に遷ったりもしたが、なんら前触れなく唐の都と言えば長安である。
芥川ともあろう者が、つまらぬミスを犯すものだ、と思っていたが、余りにも露骨なミスなので、「杜子春 長安」で調べてみると、なんと最初芥川は長安と記していたらしい。
しかし、洛陽のほうが日本では知名度が高いし、反リアリズムということで、洛陽に改めたとか。
めちゃくちゃな話である。
聖徳太子が飛鳥の都ではなく東京にいるようなものだ。
しかも、杜子春、洛陽だろうが長安だろうが、どっちだって話の筋には影響しない。なぜ、芥川が唐の都を長安ではなく洛陽と書き換えたか。今となっては藪の中である。