10年前の震災は天災であったが、コロナは人災である。
人災の意味は、政府が無能でコロナ被害が広がったとかではなく、特段危険性のないコロナを人為的に凶悪ウイルスに仕立て上げてた挙げ句、社会と経済を破壊したのだ。
多くの人はコロナが人災であると気づいているが、大様は裸だとは言い出せずに、今日も踊っている。わたしも踊っている。マスクをしながら。
「尾身会長頑張ってますね。立派ですよ」と心にもないことを、マスクをしながら表情が読まれないことを祈りつつ言っている。
さて、本題。
コロナに懐疑的な人がこの記事を読めばおかしなことは一目瞭然である。
尾身会長曰く「ワクチン接種で死亡や副作用の疑いがある場合、ワクチンが原因であるか徹底的に検証しろ。他の要因がないか探せ。人は毎日様々な理由で死ぬ。それは本当にワクチンが原因なのか」
コロナと言っていることが全く違う。
コロナの死亡者のほとんどが、コロナが直接の原因ではない。それなのに、死んでコロナに罹っていれば、「コロナ死」にカウントされ、容赦なく報道される。
昔は「コロナで死亡。90才。男性」などの報道では、「大往生じゃないですか」のようなコメントが目立ったが、コロナ=絶対悪にされてしまった今日では通用しない。
なぜ、コロナは擦っただけで大々的に放送が奨励され、ワクチンによる人体への影響は報道を抑制しなければいけないのか。
いま医療界とメディアは外堀を埋めている。
狂った日本政府が国民全員分のワクチンを入手して、健康な人間たちに恐ろしいワクチンをドクンドクン注入する、恐るべき時代がすぐそこまで来ている。
ワクチンは選択制というが、はたして打たないなどという選択が許されるのだろうか? 尾身会長とそのパートナーであるメディアが極限まで同調圧力を高めて、「ワクチン拒否は非国民」レッテルを貼ってくること請け合いである。