この作品、かなりツボってしまった。
さくっと一時間もかけずに読み終わるだろうと読み始めたが、いつの間にか没入してしまって、いろいろ想像を膨らませながら読んだので三時間くらいかかった。
文庫で100ページ弱の中編である。
健次という主人公。進学校に行き、一流大学に入るも、母親の死で大学を中退して、低学歴の連中が屯するバーに勤める、という微妙な話。
ここでミソなのは、健次が卒業していないと言うこと。卒業していない健次は、ちゃんと卒業した大学の同期に対しては妬みのようなものがあり、大学すら行っていない不良達には優越感のようなものがある。中途半端な存在なのだ。
あと、名前の記号性が面白い。ちゃんとしてない連中の名前は、ちゃんとした本名ではない。たとえば、ダクマという人物は、本名が、タクマかタクヤか分からないが、だれかがダグマと名付けた。
名前を判然とさせないことによって、まっとうな社会とのずれを表現している。一方、しっかりとレールの上を走っているササキ、エンドー、などは本名で現れる。
これは読み飛ばしてしまったかもしれないが、健次、にしろ、ジロさんにしろ、おそらく、次男なのではないか。そうすると、兄がいるはずなのに、その影すら現れない。
社会との対比、友人との対比、もうひとつ、兄弟との対比が暗示されているのではないだろうか。
限りなく透明に近いブルーは、ベトナム戦争で戦う若者、反戦を唱える若者、に対して、その裏側の退廃的な若者を描いたところに文学的な意義があった。
本作品もこの作品の時代背景を考えると、ちょうどバブル期であり、そのバブルの裏側の若者を描いたとも言えなくもない。事業に成功するも、頭がおかしくなってしまうジロさんなどはその典型ではなかろうか。
いずれにしろ、二十歳そこそこの若者の感情が、普通の日常を通して赤裸々に描かれている。葉桜だけを読んで、こっちを読まないのはもったいなさ過ぎる。