考えてみれば、小学校の書道はそんなに好きじゃなかった。嫌いでもなかった。記憶にあるのは、流しで墨汁を洗い流す作業をしているところ。
最近、書道をまじめにやっているとこのブログでも書いている。
10歳児と8歳児が授業の一環で書道をやっているようで、
「どうだい。書道は楽しいかい?」
「いや別に」
と言う。
どうせ高い道具はつかってなかろう、と予想して、見せてもらったら、わたしの予想は甘くて、驚くほど酷い道具を使っている。
筆は、筆と言うよりブラシである。穂先もメチャクチャ。
硯はプラチック。
墨汁は「洗えば落ちる」という黒い液体。
紙はコピー用紙も真っ青なほどツルツル。
こんなんでまともな字が書けるのだろうか? なんか書道の美味しい部分を全て取り去ったような道具たち。
やっぱり、しゃこしゃこ墨を磨らなければ駄目だ。筆もせめて穂先が揃ってなきゃだめだろう。
わたしの好きな言葉を一つ。
「人が墨を磨るのではない。墨が人を磨るのである」
墨は持ってると磨りたくなるのだ。墨の魔力なり。