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第163回芥川賞候補作品 赤い砂を蹴る 石原燃 を読んだ 感想 レビュー

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赤い砂を蹴る (文春e-book)

赤い砂を蹴る (文春e-book)

 

 

 

これで、5作中4作読んだことになる。

 

ただ、残念ながら、今のところ、「これだ!」という作品はない。

 

石原氏は太宰治の孫とのことだが、作風は微塵も太宰ではない。よく見かける最近の小説といった感じだ。

 

なんというか、太宰の作品にある、登場人物達の暖かさがないのだ。小説の中の人物は多種多様な人間がたくさん出てくるのであるが、どの人物も作者にプログラミングされて小説の中を動いているようにしか感じられない。

 

ウルトラ紋切り型の講評表現が許されるのならば、人間が書けていない、ということだ。

 

話のあらすじは、主人公が母親の友人(ブラジル生まれの日本人)とブラジルに行く。その間、昔の思い出話をする、というもの。

 

わざと読みにくくしているのだろうが、ちょっと油断していると時代背景がわからなくなる。そのたびに戻って時代を確認する。読むのに骨が折れる作品である。

 

小説は所詮作り話である。しかし、読者に「作り話だな」と思わせてはいけないのである。

 

この作品ではブラジルの「ヤマ」という日本人移民が作り上げた共産主義的コミュニティが出てくる。壮大な設定である。しかし、これも壮大な設定だけで、設定を全然いかせていないように思われる。首里の馬と同じである。

 

設定に必要性がないと、どうしても作り話に見えてしまう。たとえば、この作品ならば、わざわざブラジルなどへ行かなくとも、芽衣子さんと近所のファミレスで思い出話をすれば済む話ではなかっただろうか。それか、回想などという手法を用いないで、時系列的に話を進めていった方が読者はもっと感情移入出来たのでは内だろうか。

 

 

あとこいつを読めばコンプリート。発表は15日だから、結構余裕しゃきしゃき。

文藝 2020年夏季号

文藝 2020年夏季号

  • 発売日: 2020/04/07
  • メディア: 雑誌