なかなか昨今の世相を反映した事件だと思う。
無償で食事と学習の場を与え、おしゃべりを止めぬ子供らを小突いたら逮捕。どこのミゼラブルだという感じ。
昔の熱血教師(サラリーマン教師でさえ)は殴る蹴るは普通であった。黒板用定規で殴り流血、びんたが鼓膜を突き破る、なども普通にあった。今の逮捕基準をわたしの小中学時代に適応したら、おそらく、半数以上の教師は逮捕で、違う意味で学校崩壊を招いているだろう。
時代は流れ、とにかく、今の子供たちは化け物みたいな権利を保有している。
阿呆な政治家どもが票稼ぎに「子どもの権利が! 子どもの未来が!」と声高らかに叫び、また阿呆な有権者がその意味すら分からずに当選させているので目も当てられない。
阿呆な政治家どもは段々エスカレートして、親でさえちょっとぶったら逮捕、いわゆる懲戒権を親から剥奪しようと目論んでいる。
これからの親は竹槍すら与えられず、徒手空拳で化け物みたいな権利の塊であるガキを育てなければならない。だれがそんなリスキーなことをしたいと思うのだろう?
教育も同じである。過去、これほど教育者にとって教育のリスクが高まったことはないだろう。それも、真面目にやろうと思えば思うほどリスクに直面する。
こんな世の中では、子どもは減るだろうし、真っ当な教育はなされない。政治家どもは亡国のレールを敷き詰め、列車を爆走させているのだ。
さて、国が崩壊するのは致し方ないとして、これで一番害を被るのは誰だろうか?
政治家に、もし仮に集票心以外に良心というものがあるならば、子どもの権利の膨張が逆に子どもの生育環境を悪化させ将来を奪うのみならず、生まれるという機会までをも蹂躙していることに思いを馳せるべきである。