文学・文具・文化 趣味に死す!

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宮台真司のアートとはなにか、の話がべらぼうに面白い。

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あいちトリエンナーレ、表現の不自由点についてのコメントであるが、そのことより、アートの本質とはなにか、の説明が興味深い。宮台氏は「芸術とはなにか」ということの教育が必要だと言う。わたしもこれほど深くは知らなかった。文字通り教育された。

 

アートとそれ以外のものの定義をこれほどわかりやすく解説したものはない。時間のある人は最初から観ても面白い。時間が無い人は19分ごろからアートについての説明が始まる。もっと時間が無い人は、わたしが以下に要約したものを読んで欲しい。

 

 

地域住民やその地域住民の意向を代表した政治家や行政が地域芸術祭=Regional art festival、またはパブリックアートなるものを催すが、それはアートの自殺行為である。

 

今日われわれがアートと呼ぶものは19世紀初期に出来上がった概念。浪漫派の発想。その要諦は「アートと娯楽は違う」ということ。

 

19世紀以前のいわゆる「芸術」は見世物。絵描きは「ポートレート」または「宗教画」などをクライアントの要請に従って書く。

 

19世紀になって、初めて市場で売買されるようになる。アートがアートでないものから自らを区別する口上は「心に傷をつける」。そのアートを経験してしてしまうと、元のようには生きられなくなるように、心に傷をつけることが目的。

 

レクリエーション、recreationは再び作り直す。疲れた体を癒やして、再び日常を取り戻すこと。アートはレクリエーション=娯楽とはその目的が異なる。アートは生き方や価値観に影響を与えて元へはもどれなくすること。

 

では、どうやって心に傷をつけるのか。社会の外側に出ることである。われわれは普段社会の中にいるので、その社会の中で煩悶し闘争している。アートはわれわれに日常を生きる社会の外側に連れ出し、宇宙人のような視点を与えて自己および社会を相対化させる。

 

アートがイデオロギーや政治的対立を越えて人をつなげることが出来るのは、イデオロギーや政治対立という日常社会の外側に出るからである。

 

アートとは意味不明であり、人を不愉快にさせるようなものが多いのは、人々が要求するものを作るやり方では駄目だからである。

 

以上の理由から、地域の人々や政治家がテーマを決めて行う芸術祭はアートたり得ない。それは社会の内側の営みだからである。つまり、パブリックアート、地域芸術祭、なるワードは語義矛盾を犯しているのである。

 

パブリックアートはアートの芸能化、政治プロパガンダ化であり、アートの本義ではない。