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太平記の9巻は糟屋劇場のような気がする。

糟屋宗秋 - Wikipedia

 

9巻は六波羅が落ち、北条仲時が番場で432人の従者とともに自害する、本当なら仲時が主役のはずなのに、糟屋がめっちゃ目立つのである。たぶん、その理由は、いちいち台詞が格好いいにもかかわらず、結構見通しが甘いのだ。わたしの中で糟屋は脳みそまで筋肉で出来ているイメージなのである。

 

糟屋宗秋は忠臣であるには違いない。番場で仲時が自害したときの台詞。

 

「宗秋こそ先ず自害つかまつって、冥土の御先をもつかまつらんと存じつるに、先立たせ給ひぬるこそ口惜しけれ。今生にては、命を際のご先途を見果てまいらせ候はめ、また冥土なればとて、見放し奉るべきにあらず。しばらくお待ち候ふべし。死出の山のお供申し候はん」

 

 

だが、この糟屋、六波羅が落ちるとき、このように仲時に進言する。現代語で書く。

 

「味方が少なくなって敵を防ぎきれないので鎌倉に落ちましょう。天皇上皇を奉って関東に下った後、大軍でまた京都を攻めれば良いのです。佐々木(近江守護)がいれば近江は安全。美濃、尾張三河遠江には敵もいないようです。一旦鎌倉に帰ってすぐに逆徒を退治しましょう。われわれのような者が雑兵に討たれるなどあってはいけません」

 

と再三進言した。

 

だが、仲時はすでにそんな簡単にいかないのが分かっていて、このあと、北の方に、

「心安く関東まで落ち延びぬとも覚えず。中略、われら道にて討たれぬと聞き給はば、いかなる人にも相馴れて、松寿と人となし、心づきなば僧になしてわが後生を問わせてたび給へ」

 

たぶん、もう無理と分かっていたのだろう。

 

で、結局野伏に囲まれて、糟屋はこう言う。

「弓矢取る身の死すべき処にて死なねば、恥を見ることありと申し習わしたるは、理にて候ひけり。われら都にて討ち死にすべう候ひし者が、1日の命を惜しみ、これまで落ちもてきて、今、いひ甲斐なき田夫野人の手に懸かって屍を路径の露には曝さん事こそ口惜しく候へ。(以下口語)土岐ははじめから謀反を企んでて美濃でわれわれを通さないようにしてるし、遠江の城郭を構えてるらしい。一万の兵があっても通れまい。この際は後陣の佐々木が来るのを待ちましょう」

 

というのであるが、結局佐々木は来ず、みんな自尽という結末になる。

 

 

太平記(二) (岩波文庫)

太平記(二) (岩波文庫)