川崎の事件を聞いて思ったことは、これでは監視カメラは意味をなさないと言うことだ。
ちょっと前にベトナム人の小学生が誘拐されて殺害された事件があって、あのあと、付近は監視カメラだらけになった。
飲酒運転事故が起これば厳罰化となるし、上級国民の事故が起きれば車の自動運転と年寄りの免許返納が叫ばれ、右折にしくじって保育園児が跳ねられれば、矢印信号だけにせよ、という議論が起こる。
悲劇的な事件が起きれば、二度と起こさないために、社会は対症療法的なアイディアを出す。
では、今回の事件に関しては、どのような対策を講じればいいのだろうか。
監視カメラは効かない。そもそも死ぬ気なので厳罰化は効かない。
一番現実的なのは、護衛を付けることである。ただ、ベトナム人の事件のように、護衛的な見守り隊の人が犯人だった場合防げない。
そこで、ちょっと非現実的になるが、人体にも自動制御装置を付けて、反社会的な行動を物理的に行えないようにするというのが、もっとも効果的だと思う。
全員にマイナンバーが付けられているように。これから発売される自動車には自動ブレーキを付けなければいけないように、人間にも自動制御装置を付けなくてはいけない時代が来るかも知れない。
ただ、自動制御装置を付けます、というとみんな嫌がる。そこで、自動制御装置がいかに便利であるか、一度使ってしまうと便利で手放せない状況を作り上げれば、誰もが率先して自動制御装置を付けるようになるだろう。
例えば、われわれは多少のプライバシーを犠牲にしても、便利だからと言う理由で携帯電話を持っている。自動制御装置もそうするのだ。
会社までの通勤、オートパイロットを設定すれば、体が勝手に歩き、勝手に満員電車に乗り、勝手に会社に到着する。その間、本人は寝ててもいいのである。
鬱陶しいクレーム対応なども、自動対応にすれば、AIが勝手に対応して、申し訳なさそうな表情とかも作ってくれるわけである。