わたしはこれでも売れない小説を書いているので、言葉は基本中の基本の道具であるから、知らない言葉はメモに残し、ちゃんと整理している。
最近では「槿花一朝の夢」という言葉を知った。
槿花(きんか)一朝(いっちょう)の夢
「槿花一日(きんかいちじつ)の栄(えい)」に同じ。〔白居易「放言」の「松樹千年終是朽、槿花一日自為レ栄」から〕
この世の栄華のはかないことのたとえ。
ことわざ図書館より
http://www.kokin.rr-livelife.net/koto.html
泰山不要欺毫末,顏子無心羨老彭。
松樹千年終是朽,槿花一日自為榮。
何須戀世常憂死,亦莫嫌身漫厭生。
生去死來都是幻,幻人哀樂系何情。
泰山は毫末も欺くを要せず、顔子は老彭を羨む心無し。
松樹千年、終に是れ朽ち、槿花一日、自ら栄を為す。
何ぞ須ひん世を恋ひ常に死を憂ふるを、亦た身を嫌ひ漫りに生を厭ふこと莫れ。
生去死来、都て是れ幻、幻人哀楽、何情に繁る。
あの雄大な泰山は少しも拘泥するところなく、夭折した顔回は彭祖の長寿を羨む心無し。 松の木も千年すれば終には朽ち、むくげの花は一日にして自ずからその生を全うする。 いたずらに世を
という訳なのだが、仏教思想と言うより、道教思想のような気がしてならない。偽経で名高い般若心経に毒されている人が多すぎる。
聖徳太子も死ぬ間際に「世間虚仮、唯仏是真」と言っている。
んなわけあるかい、と思うのだ。
神の世界に救いを求めたくなる気持ちは痛いほどわかるのであるが、それにのめり込んだら終わりのような気がするのである。