水脈先生のLGBT問題が飛び火した形か。
谷川議員の発言がまとめられていた。こんな様な要旨。
「同性婚とか夫婦別姓、多様性を認めないというわけではないんですけど、それを法律化する必要ないと僕は思っているんですね。『趣味』みたいなもので。(中略)わざわざ同性婚を認めますという法律は作る必要はないと思ってます」
「『伝統的な家族のあり方』っていうのであれば、僕の定義ですけど、男の人と女の人が結婚して、そこで子を授かって、家族っていう形態ができて、それを本当に大昔からずっと皆さん同じようなことをして、国を衰退させないように、国が滅びないようにしてきたわけですよね」
この問題を考えるには結婚の価値を考えなければならない。共同ローンとか配偶者控除とか法的な優遇を与えればそれでいいのかどうか。
日本には谷川議員の下段の発言であるが、元々「家」という概念は夫婦と子どもよりも遙かに広いし、養子だってがんがん活用しているわけだし、国を衰退させないようにしてきたというが、国という概念は近代のものであるのでetcetc、ここではそれらにいちいち突っ込むのはやめて、「伝統的家族のあり方」という形を信じている人たちがいるという事実のみ注目したい。
すると、この伝統的家族のあり方を信じるか否かで、わたしは結婚制度の価値が変わってくると思う。本当に、リーズナブルに、共同ローンとか配偶者控除などの実益実損部分を法的に補うだけでいいのなら、その実態に即した法整備をすればいいだけである。故に、机と結婚してもいいし、カブトムシと結婚してもいいが、それらに法的援助はでない。ただ、形式のみは結婚となる。それは合理的である。
ただし、結婚の神聖は完全に破壊される。それでいいのかという問題なのだが、いまの世の中、神聖なるものが次々破壊されているので、おそらく結婚の神聖も遠からず失われる。
神聖なるものは、神から与えられた超自然的なものだとみんな勘違いしているかもしれないが、神聖なものは人間が作り上げたものである。例えば、皇室、結婚もしかり、夫婦は同姓にしなければならない、などもそうだ。神聖なものが失われた世界は本当に銭金の世界に堕落しかねない。保守系はその辺を憂うのだろう。
なのに、その保守系が、国を衰退させないようとか、生産性とか言い始めるので話がややこしくこんがらがるのである。
「生産性」のないLGBTに税金は投入すべきではないか - Yoshinori Hoshi Official blog