率直な感想は、あまり面白くなかった。主な理由は低評価レビューにかかれているのと同じで、「いかにも」なシナリオと「いなにも」なキャラクター、「はい、ここ、感動するところですよ」と露骨な表現にげんなりである。
key作品はカノン、エアー、クラナドをリアルタイムでプレイしてきた。ちなみに、ムーンとワンもやってるので、相当筋金入りだと思う。最近のは知らないが。
中でもエアーは最高傑作だと思っていて、映画も映画館で観た。key作品のすごいところは、破綻と分離である。膨大なテキストを読み進めるうちに、通常の世界が緩やかに破綻して、世界が分離していく。その破綻と分離の中でキャラが藻掻く。だから、映画という短い時間で破綻を描こうとしたエアーは別の意味で破綻していた。
プラネタリアンの原作は知らないのでとやかく言えないが、この映画は見事に予定調和であった。そして、「おい、オタクども。こういう設定とこういうキャラ、萌えるだろ?」とモニターの向こうから執拗な押し売りを受けている気がして、げんなり、なのだ。
だが、ご覧の通りものすごい高評価だ。ここで一つメタレビューを試みたい。2018/03/21現在、レビュー総数115。星のパーセンテージは以下の通りでだ。
星5つ70%
星4つ16%
星3つ5%
星2つ3%
星1つ6%
で、星5つのレビューを読んでいると、どうも普通に感動しているらしい。オタクがオタクキャラ&設定に萌えている訳ではないのだ。
ざくっと結論を言うと、15年ほど前から広がったオタク文化が社会に浸透して市民権を得た。市民権を得て一般的となったオタク文化は、すでにオタク文化ではない。そんな昔のオタク文化の記憶が残っているのでわたしにはこの高評価が不気味に映るのである。
喩えは悪いが、明治維新の元勲たちは天皇を統治のツールとして神扱いした。しかし、昭和になると、ネタで使っていた記憶が薄れ、ガチで神としてあがめ始める。
そんな変化を感じてしまった。だから、わたしとしては作品云々よりも、この作品に対する人々の反応が非常に興味深い。そういう目で世間を見渡すと、最近の高校生は恥ずかしげもなくアニメのアイコンを使っている。美少女キャラのアイコンなど、その昔はオタクのカミングアウトであり、やったら最後、普通に扱ってもらうのは絶望的だし、本人もそのくらいの覚悟でオタク道をやっていたのではないか。
あと、秋葉原に萌えキャラの特大看板が乱立し始めた頃、「もう秋葉は電気街ではなくオタク街へと墜ちた」と嘆かれていたが、今や萌えキャラ、美少女キャラの看板は当たり前で、そのことが気になることもない。
まさに、時代が変わったのだ。そして、そんな昔話をして、昔を懐かしむわたしは老けたと言うことなのだろう。