苫米地先生の2050年の衝撃、未来予想を読んでいる。非常に面白く、示唆に富むものである。
182pからのユニクロについての批判について少し考察してみたい。
氏は金融資本家がメディアを使った洗脳でユニクロを例に出す。ユニクロはファストファッションの旗手というイメージをメディアを通じて作り上げ洗脳し、問題になるほど安い人件費で作った商品を、実際には安くない価格で提供しているという。そして、品質も780円の米軍払い下げTシャツのほうが良いと言う。
わたしは脱ユニクロ宣言をしているが、それは価格の問題でも品質の問題でも企業のありかたの問題でもなく、ユニクロを着用していては、服装に対するセンスが磨かれないからの脱ユニクロなのである。ユニクロは極めて無難なラインナップを提供し、また国民の多くがユニクロを着用しているので、サイズさえ間違えなければ、目をつぶってユニクロを着るだけで社会に通用してしまう、社会に溶け込んでしまう、それを意図的に避けるための脱ユニクロなのである。
苫米地氏のユニクロに対する批判は以下の二つの点に絞られると思う。
一つは、安い労働力を使っているはずなにに、小売価格が高い。その理由は宣伝広告に多くの費用を割いているからである、という点。
二つ目は、価格の割に品質が良くない。もっと安くて良い品質のものがある。
の二点だ。
1点目は安い労働力を使って搾取していると言うが、それはユニクロに限らずファストファッション全般に言えることで、ではユニクロが国内縫製の高額な人件費を使ったとして、それは単にユニクロが競争に負け、途上国の雇用が失われるだけで、そこに別のファストファッションが入るだけだ。ならば、広告費を問題だとして、広告費を消費者に還元して安くするか? しかし、それでは途上国搾取の実態は変わらないので、正解は広告費を途上国の人件費に還元することだろうか? でも、それだと、結局より安価なファストファッションブランドに市場を奪われるだけではなかろうか。消費者が賢くなりフェアトレードみたいに倫理的な企業を選ぶと言うことになるが、もしそんなことが現実的だとするならば、とっくにそれは実現しているのではなかろうか。つまり、先進国の消費者を含めた倫理的な問題まで広がり、この問題は一企業がどうこうできる問題ではないと考える。
とすると、ユニクロが品質の割に価格が高いかという問題に集約される。わたしはむしろユニクロは品質の割に安価だと評価している。氏はTシャツ1枚1,000円以上といい、780円の米軍払い下げのTシャツの品質と比べるが、どこで売ってるのだろうか? availabilityは低い。ユニクロなら日本中どこでも手に入る。
それに、ユニクロを定価で買うものがどのくらいいるかである。わたしは基本ワゴンしか見ない。ワゴン製品だけでもavailabilityは米軍よりは高いだろう。