ちょっとしたピアノリサイタルに行った。何曲目かにピアニストが、「次はショパンを弾きます」と言ったら、私の二つほど隣にすわっていた七十くらいの紳士が「うむぅ、ショパン。……ショパンか」と言って頭を抱えてしまった。
紳士は実に日本的な風貌で、クラシック音楽よりは詩吟が似合う感じだった。彼がショパンと言うだけで、なんとなく場違いな印象を受けるのに、ショパンかぁ、と嘆息して頭を抱えてしまう。いったい日本的紳士とショパンとの間で何があったのだろうか?
ショパンはなんとなくチャラい。恋愛的チャラさがショパンで、チャラい中にも愁いが同居する。恋愛的愁いだ。そんな恋愛的チャラさと愁いと一切無縁であるべき日本的紳士が、ショパンとつぶやき頭を抱えたら、想像が膨らんでしまう。
では、私がショパン的かと問われれば、完全に否である。私もショパンとは無縁で、上記のような一辺倒の偏見しか持ち合わせていない。そんな私がショパンを聴いている姿を見て、さて、日本的紳士はどんな想像を膨らませたであろうか。sy