この度電書館さん発刊の月天第五号に詩を掲載して頂いた。最初は小説でも投稿しようかな、と思ったが、詩の方が雑誌投稿的だと勝手に解釈して詩にした。昨日発売、是非ご購入を! 自分は青い方に載ってる。
- 作者: Harunaluna,君塚正太,館石直進,北城椿貴,みそけい,宗像ちよこ,北島雅弘,登り山泰至
- 出版社/メーカー: 電書館
- 発売日: 2015/01/04
- メディア: Kindle版
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- 作者: Harunaluna,戸谷洋志,なかのたいとう,呂彪弥欷助,横尾湖衣,星香典,TAKE TAKE,ナマケモノ,木橋啓助
- 出版社/メーカー: 電書館
- 発売日: 2015/01/04
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小説を読んでいるという知人は何人もいる。が、詩を読んでいる知人は少ない。詩を読むのは楽だ。どんなに長い詩でも一駅分で読める。新幹線の一駅なら一冊読める。
身もふたもない話、読書感想文を書くなら詩の方が楽だ。同じ200ページでも中身は五分の一くらい。
つまり、五倍言葉のエキスが濃い。(とりあえずそういうことで)
自分は小説を書いているときも、文章が詩的に響けばいいと思って書いている。
言葉は思考を伝えるものであるが、それ以上のものでもあると思う。逆に言うと、言葉で思考を正確に伝えることが出来ないから、言葉は勝手に誰かの心を打つ。例えば、
「美しい店」
みんながそれぞれ、美しい店を思い浮かべてくれる。内装が出来立てほやほやとか、定員が綺麗な人だとか、接客が暖かかったとか。
この言葉に中身はない。中身のないが言葉があるということは、その言葉は「器」だとも解釈できる。
詩は思考の器だ。読者が器にいろいろ盛ってくれると、詩はより芳醇となるだろう。と思う今日この頃。