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アンチノミー的理性概念と幸福と不幸について。経験的か超越的か。必要十分条件

 

 

コメントをいただいて時間と自由との関係を改めて考えてみた。あと、幸福とは。

 

カントのアンチノミーに従えば、時間は有限とも無限ともなる。

 

時間は無限=現在の結果は過去の因果による。時間が生まれるには、時間が生まれるための因果が必要である。その因果にも因果が必要なので、よって、時間は無限である。

 

時間は有限=この瞬間を起点に考えれば、時間は無限ではない。また、今地球はこんな風になってるが、時間をさかのぼれば、アメーバ的生命体となり、そのアメーバ的生命体もさらに原始的な何かになり、それすらももっと原始的な何かになる。その先にはなにか始まりがある。始まりなくして存在なし。

 

無限としても有限としても反証できてしまうのはおかしい。

 

第三アンチノミーも、世界には始まりとしての自由があると仮定しても、自由がないとしても両方とも反証できてしまう。

 

カントはこのアンチノミーの問題を、自由とか時間とか空間とか、理性概念(理念=イデア=空想の産物)に過ぎないものを、あたかも感覚器官で知覚するような経験的なものと錯覚しているから起こるという。また、カントは理性概念を主観的なものとする。

 

幸福と不幸は超越的か経験的か

 

ここで、幸福や不幸は果たしてどちらなのだろうかと疑問を持った。幸福や不幸をよく、「気の持ちようだ」という話を聞くが、上記の「理性的=超越的」と「現実的=経験的」のどちらかに分けるとすると、必ずしもオール超越的な問題ではなさそうである。

 

というのも、不幸も幸福も理性概念ではなく、感覚器官を通して経験できる現実的な側面が多分にあるからである。

 

結論であるが、幸福な人生を送ろうと考えたとき、我々は物質面だけ強化してもダメであるし、精神面だけを強化してもダメとはいわないまでも困難である。理性的なこと、経験的なこと、両方が備わらなければ真に幸福な人生にはなりにくい。

 

もう一つ気づいたことは、精神的充足ということは幸福であるための必要且つ十分条件であるが、物質的充足では幸福であることの必要条件ではあるが十分条件ではない。

 

何となく図を書いてみた。精神的充足と幸福は重なるが、物質的充足であったとしても、不幸であったり普通であったりする場合がある。

 

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