二つ前の投稿で人生の苦痛を楽しみに変える、と書いた。かりに、おおむねの苦痛を楽しくすることが出来たとしても、全く思い通りに行かないものがある。それは将来不安だ。
将来不安がその他の不安と決定的に違うところは、通常の不安が過ぎ去るのに対し、将来不安は永遠に過ぎ去らないということである。
嫌なやつと会わなければならないとしても、あってみると意外と普通であったり、やっぱり最悪に不快な思いをしたとしても、それは過ぎ去る。
将来不安は規模が大きすぎる。漠然としている。曖昧としている。想定不能、計量不能なのだ。
あまりに具体性に欠けているから、楽しみに変換しようと思っても、何を変換していいか分からない。そんな漠然としてものの何に怯えるのかと問はば、怯えたところで詮無きことはわかっておれども。
究極のところ、将来不安さえ克服すれば、人間は解脱できるのではあるまいか。