小説を書くというのは非常に労力がいる。調べ物をしたり、執筆という物理的な労力だけでも相当である。
売れている作家なら、労力に見合った金銭的報酬が得られるだろうが、そうでないものにとっては、小説を書く時間があるくらいならば、コンビニでレジでも打っていた方が金になるのだ。
世の中では金にならない道楽を趣味という。では、執筆は趣味であろうか。一般的な趣味と小説を書くという行為は違うような気がする。
小説を書く理由は簡単で、書きたくなるのだ。
なぜ、書きたくなるか。
頭の中に不確定なモヤモヤとした思考がある。考えてもわからない。しかし、小説という形にすると、そのモヤモヤが解決出来るような気になるときがある。
実際、作品を完成させて、おおむね解決できることもあれば、失敗に終わることもある。
では、なぜ、モヤモヤを解決したいのか。
このモヤモヤには、なにか大切な、生きている上でのヒントのようなものが隠されているような気がするからだ。だから、考え、作品にして、モヤモヤの正体を突き止めたくなる。
では、なぜ、生きる上でのヒントのようなものを暴きたくなるのか。
それを知れば今よりも、よりよく生きられるような気がするからである。結局は、よりよく生きたいのである。
よりよく生きたいとは、処世術のような、もはやどうでもいい物理的なことではなく、それこそ、なんのために生まれてきたのかを問うような、とりとめのない問題なのである。