今週のお題「お気に入りのTシャツ」
昨日Tシャツのお題を書いていて見つけた。
ノースフェイスのパロディである。いい年をしたおっさんが着ていたら、イタイタしくて世間に迷惑をかけてしまいそうである。
さておき、服装とは自分が何ものであるのかを表現するためのものである。古来よりそう決まっていた。
なにも気にせずに、なにも考えずに服を着る人は、何ものでもない証拠である。
何ものであるのかを表現すると言うことは、他人に対して服を通してメッセージを送るということである。
フランス革命、革命派はサンキュロットと自らを称し長ズボンをはいた。
ジェイムズ・ディーンはあえて上着を脱いでTシャツ姿=下着姿で当時の社会に反抗してみせた。
ベトナム戦争、若者はシャツに直接メッセージを記入する。
本来、自分が何ものかであるのを最も端的に、簡単に、正確に、表現できるのはTシャツなのである。
そう考えたときに、無地のTシャツとはいったいなんのか、よくわからなくなる。それはメッセージを持っていないのか、それとも、メッセージを韜晦しているのか。
わたしは服装からメッセージを韜晦するのが、昨今の流行ではないかと考えている。つまり、無難な服装というやつである。服で主張しないということだ。
スーツが今やそうなって、みんな同じような色のスーツを着ている。生地の柄や色を楽しもうなどというのは一部の着道楽しかしない。
となると、いずれ、Tシャツからも柄が消え、色が消えるのではないだろうか。
これは近年の未婚、異性と付き合わない、シングル化とも連動していると思う。鳥や獣も異性の気をひくために派手な滑降している。異性の気をひく必要がないならば、派手な格好をする必要はない。
22世紀の服装は、楽であり、無地、モノトーンのものが流行ると思う。
スーツが材質を顧みられなくなったように、Tシャツも材質を顧みないようになるだろう。すると人々はどこで自らを主張するのだろうか。