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中国のコロナ政策

蘭亭序を臨模して喜んでいるような自分であるので、とっくに諸賢はお気づきのことと思うが、わたしは中国押しである。

 

しかし、日本では第二次大戦の記憶もあるし、ちょっと前では対日デモなどをやるせいで、中国は韓国と並んで嫌われている。ネットのコメントなどはケチョンケチョンである。

 

そんな中国嫌いな面々も三国志は好きだったりする。

 

わたしも三国志から入った口で、その後四書五経十八史略南宋の滅亡まで好きになり、浅田次郎清王朝に親しみを抱くという始末である。

 

では、中国史や中国文化が好きなのに、どうして中国が嫌いな人が多いか。

 

「今の中国と昔の中国は違う」

という理由が大体をしめるが、わたしは今の中国には、やはり中国4000年の歴史が流れていると思う。

 

それは、われわれ日本人の中にも、侍のイメージや、戦国時代の歴史が流れているのと同じである。

 

仮に日本の戦国時代が好き、という外国人が、

「戦国時代の日本は好きだが、今の日本は嫌いだ。なぜなら、今の日本は民主主義で戦国時代とは違うから」

などと言ったら

「こいつ何言ってるの?」

とならないだろうか。

 

同じ理屈で、共産党になろうが何になろうが中国は中国である。中華思想微塵も変わっていないと思う。

 

日本と中国の仲の悪さは今に始まったことではない。聖徳太子の時代にはすでにライバル視している。白村江では干戈を交えている。

 

ただ、今と過去が違う点を上げるとすれば、今は中華文明に対するあこがれとか、尊敬とかが失われている。たとえば藤原仲麻呂は朝廷の官職を唐風の名称に変えたりした。

 

いわゆる現代の西欧かぶれのようなことが、昔の日本では中国かぶれだったのである。現代は中国かぶれはなくなって久しい。第二次大戦のころまでのインテリは、漢学の素養があったので、中国大陸に出征するも複雑な心境だったと聞く。

 

さて、そんな中国であるが、コロナウイルスを作ったと言われている。わたしは最初聞いたとき、そんなバカな話があるか、と思ったが、ここまでモンゴロイドには効かず、コーカソイドにばかり効くウイルスならば、作ったと勘ぐられても仕方がない。

 

日本はもとより、中国でも、朝鮮でも感染は広がりを見せないし、死者もほとんどいないに等しい。22日の情報だと、韓国は33万人検査を受けて死亡は104人とのこと。やはり、モンゴロイドには効かないのである。

 

さてさて、今回はそんなことが言いたかったわけではない。中国の政策の合理性を説きたかったのである。

 

今回のウイルスも中国は症状が出ていない者はカウントしない、としている。様々な批判もあるが、わたしは近い将来中国式がスタンダードになると思う。イタリア等で医療崩壊が起こっているのをみれば一目瞭然である。カウントしない、というのが嫌ならば、日本のように検査しない、というのもありかも知れない。日本はほとんど検査をしないでここまで上手くやって来ている。

 

もう一つ、中国はアビガンを早速投与。さらに今日のニュースだとワクチン開発にも成功して早速人体実験を行っている。この速さというのは何に由来するのだろうか?

 

中国の神話では、振り回した縄で泥を跳ね上げて、その飛沫から出来たのが人間、ということになっていて、人間=泥の飛沫、なので人権意識が薄いと言われている。

 

それはどうだかしらないが、わたしは責任の取り方に政策の速さの理由があると思う。

 

たとえば、アビガン投与にしても、日本ならば様々な複数のお墨付きをもらって、仮に失敗しても決定権者に責任が及ばない体制を作る。いわゆる無責任状態にしてから決行する。

 

中国は失敗しても「だからなに? 世の中すべて上手くいくわけないでしょ。次試そう」となる。

 

どちらがいいかはわからない。

 

ただ一つ言えることは、世の中には責任を取れる問題と、取れない問題があるということである。誰かが責任を取ったところで意味をなさない問題もある。

 

 

 

日本とアジア (ちくま学芸文庫)

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  • 作者:竹内 好
  • 発売日: 1993/11/01
  • メディア: 文庫