スプーンというイカレた黒人とキムという日本人ビッチが同棲する話。
キムは韓国人ではなく日本人だ。紛らわしい命名である。中学の時、木村君という友人が「キム」と呼ばれていたがそんな感じだろうか?
この作品が文芸賞を取ったのは当然すぎる。芥川賞を逃したらしいがなぜだろうか? 93回芥川賞でこのときの受賞者は米谷ふみ子。この作品を押さえて受賞した作品を書いたというのだから、ちょっと気になる。
ネタバレあり。バレたところで、この作品のおもしろさが減衰するわけではないが。
簡単に言ってすごい作品だ。なにがすごいのか。
まず、登場人物はラリっている。スプーンもキムもラリっている。実際にコカインやマリファナでラリっている。
普通、バカな人間を書くと、滑稽でばかばか強い作品になるのであるが、この作品はきわめて下品で愚かでバカな人間達を描いているにもかかわらず、その愚かさを他人事にさせない筆力をもっているのだ。
人間は愚かな生き物である。その愚かさをわれわれは必死に韜晦している。
この小説の人物達も韜晦しようとしている。でも、それが出来ない。それは生まれ育った境遇もあるだろうし、地頭もあるだろう。
喩えるなら、クラスで一人はいるとても頭の悪い人間。普通そういう人間はいじめの対象であったり、からかいの対象である。いじめたりからかったりしているときに、ふとその人間に自分を観る、背筋が凍る感覚。
町でよぼよぼの年寄りを観て、ふと自分の将来を思う感覚。
ある意味この小説は恐怖小説である。
だからこそ、最後の警察のくだりは蛇足だとも言える。ストーリーとして完結する代わりに、警察に捕まるという社会的機能が、ふと読者を安心させてしまうのだ。この小説に安心はいらない。