今タイトルを打ち込んでいて気がついたのであるが、普通にワープロソフトで「おわり」打って変換すると「終わり」になる。しかし、春樹のタイトルは「終り」である。
一応公文書などでは「終わり」と決めているが、文化庁のHPにあるように、どちらでもいいのである。
文化庁 | 国語施策・日本語教育 | 国語施策情報 | 内閣告示・内閣訓令 | 送り仮名の付け方 | 本文 通則2
古文をやっていれば、送り仮名など、それぞれ思い思いにつけている。その法が日本語の広がりがあったかも知れない。紛らわしかったりもするが。
※ネタバレ注意
さておき、この作品はよく世界系の走りだと言われている。世界系とは主人公の運命と世界の運命がリンクしている物語を指す。
しかし、この作品はべつに主人公の運命と世界の運命はリンクしていない。主人公が世界にとって重要なキーマンであることには変わりないが、主人公が死んでも世界はとくに変わらない。
むしろ、この作品は、終わらない世界を主人公が志向する結末である。そして、とても寓話的に脳のシステムを表現した作品であると思う。
脳と心、そのバランスが見事に物語に昇華されている。
あと、イスラエル批判もすごい。
「イスラエルの機甲師団がどこかの中東の村を壊滅させても、とにかく眠り続けるのだ」
さらっと出てくる。よほどイスラエルが嫌いと見える。
イスラエルはなんの当てつけでエルサレム賞を氏に与えたのであろうか。懐柔できるとおもったのであろうか。氏はしっかりとガザ地区への攻撃を批判した。
あと、飲酒運転描写はこの時代ならではだと思う。年がら年中、普通に酒を飲んで運転している。酒を飲んでレンタカー屋に行って、そこで普通にレンタカーを借りる。店員もこじゃれた会話をして、何を気にするでもなく貸す。時代性なり。
比喩をその前に作ってある情景に喩えるのも面白い。
「昨日はといえば殆んど何も食べていないようなものなのだ。空腹感は巨大な穴のようだった。地底で見かけた石を放りこんでも何の音も聞こえないあの暗くて深い穴みたいだ。」
諸賢はご存じだろうか。上下巻を合わせると一つの絵になるのだ。