タイムリーな話題なので朝から投稿。
FUJIFILM X100V 炎上商法 鈴木 達朗氏による迷惑ストリートスナップ
富士フイルム、新製品カメラのPR動画めぐり謝罪 「盗撮を推奨するような内容」と批判で削除(オリコン) - Yahoo!ニュース
公式動画は削除されているが、アップしてくれている人がいた。
付いているコメントをみると、批難の雨あられであった。確かに、この動画で氏の動きを見ると気持ち悪いことこの上ない。
だが、氏が撮った写真はわたしは好きである。あの写真は盗撮でなければ撮れない。迫力というか、訴えてくるものがある。人間の思念が伝わってくる。
写真の歴史で言えば、1900年前半に小型カメラが生まれたときから、隠し撮り、ストリート・スナップ、盗撮、キャンデッドフォトという技法は存在している。
キャンデッドというのは「candid」ポーズを取らない、ありのまま、という意味。
そして、この技巧は写真界では確立した技法で、アンリ・カルティ、木村伊兵衛、ロバートキャパ、横木安良夫、などなど、山のように名手がいて、上げれば切りがない。
ただ、鈴木氏の写真は厳密にいうとキャンデッドではないし、盗撮、隠し撮り、ではない。というのも、撮る瞬間「バレている」からである。そこが面白いとも言えるが。
カメラは動きに弱い。だから、たとえばキャンデッドフォトの手法の一つに、カメラを二台持って、一台は普通に持って空でも撮るまねをする。もう一台はリモートレリーズをつけたカメラを肩から提げる。空を撮るふりをして実際はレリーズが付いた肩提げのカメラが撮影している、などなど。
キャンデッドフォトの指南書には、「被写体といざこざが起きたら警察に駆け込もう」と記されている。氏も動画で職質されているが、現行法では目に見えるものを写真に撮ることを裁く法が存在しない。被写体がどれほど憤って「こいつを逮捕しろ」と訴えても出来ないのである。
つまり、普通に目に見えるものを撮っている限り法は写真家を守る、わけである。
そもそも、いちいち被写体に確認をとっていたら報道写真など撮りようがない。
わたしはスナップショット、キャンデットフォトに理解を示しているし、自分でも撮っている。ただ、わたしの場合、面倒を起こしたくないので人物が特定出来るような撮り方はしない。
鈴木氏は「逆上した被写体にナイフで刺されても仕方ない」という。わたしには鈴木氏のような覚悟は微塵もない。だからああいう写真は撮れない。
ただ、鈴木氏のように明確な意図を持って撮影していないまでも、今は誰もがカメラを持ち歩いて、町中で撮りまくっている。車にはドライブレコーダーをつけて、街には監視カメラが溢れている。何気なく撮った写真に意図せぬ人物が写り込むことは多々ある。そういう写真というのは公表しなければそれでいいのか。単純所持は問題にならないか。
鈴木氏が問題なのは撮ったあとに発表して金に換えるからか。もし撮るだけなら問題はないのか。撮るだけで問題があるとするならば、街角の監視カメラは問題にならないのか。
などなど、いろいろ政治哲学的な問題が含まれていておもしろい。
また、アート問題、も絡んでくる。
アート、芸術、とは宮代氏曰く「人の心に傷をつけるもの」である。
鈴木氏の撮った写真は衝撃的で、グッとくるものがある。しかし、もっと衝撃的で心に刻まれたのは、その写真を撮っている鈴木氏の姿を撮ったこの動画ではなかろうか。この動画こそアート=芸術である。富士フェルムはなかなかすごいものを作ってしまった。