「車なんか走ればなんでもいい」
こう言い放つ人は少なくない。
これに類する台詞として、
「服なんか着られればなんでもいい」
「食い物なんか腹がふくれればそれでいい」
「ペンなんか書ければなんでもいい」
「女なんかやれれば誰でもいい」
「男なんか金持ってくれば誰でもいい」
これらは真理なのだろうか。
おそらく、半分は本音で半分は満たされぬ現実への当て付けである。葡萄を採れなかった狐が、「どうせあの葡萄は酸っぱい」というのと同じだろう。
本当はフェラーリが欲しいし、サビルローで仕立てたいし、三つ星レストランで食事をしたいし、中屋万年筆が欲しいし、器量も気立てもいい女と付き合いたいし、尊敬に値する立派な男と結婚したいのだろうが、そうは問屋が卸さぬので、半ば負け惜しみなのである。
手に入らぬ物を求め続けるのは悲しいしつらい。
だからといって、人生負け惜しみで暮らすのもそれはそれで悲しい。すこしでも人生にこだわりを持った方がいいのではなかろうか。
所詮、われわれはいずれ死ぬのである。だから、「人生なんて死んでしまえばみんな同じ」とは真実であろうが、人間は真実のみにて生きるにあらず、である。
ちょっと人生を噛みしめれば、色即是空などはもったいぶって言われるまでもなくわかることだ。色即是空とわかった上で、いかに生きるのか、が問題である。
うむ。このロジックはオープンカー購入に使えそうである。