キッチンとキッチン2は別々に発表されているというは意外だった。というのも、キッチンだけでは到底完結しているとは思えない。キッチン2になって始めて話が動き出すという感じである。
キラキラヒカルはもろにゲイの話であった。こちらはオカマが活躍する。本作が1987年。キラキラヒカルが1991年の作品なので、あの当時、とくにLGBT的な思想が小説のテーマとして意義を持っていたのかもしれない。
若い情勢が書いたものなので文体ももちろん若い女性的なノリである。わたしはあまりこのノリについて行けなかった。それは、後書きで著者自らが、
「この小説がたくさん売れたことを、息苦しく思うこともあった」
とか、
「必要としない人まで読んでくれてしまったことにおおらかな喜びを感じる許容量はとてもなかった」
などと見事に表現している。
わたしは著者とは同時代でもなければ同姓でもないので、この小説を必要としている人、というのがどういう人かわからないが、この小説には、必要としている人にはかなり効くであろう、そういうパワーがあることはわかった。それは、当時この作品が売れたことが如実に証明している。
併録されているムーンライト・シャドーはもっとついて行けなかった。内容は恋人が事故で死んでしまい、主人公の女性は悲しむ。そこに不思議な女が現れて恋人の幻を見ることが出来ると教える。
キッチンもムーンライト・シャドーも主人公は若い女性。しかし、周りであまりにも身近な人が死ぬので私小説というわけではないのだろう。