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キラキラヒカル 江國香織 を読んだ。感想 レビュー

 

きらきらひかる (新潮文庫)

きらきらひかる (新潮文庫)

 

 

ひと息で読み終えてしまった。

ホモの旦那と精神病の妻の話。

この設定からして面白そうではないか。実際面白い。

 

人間なんてみんなどこかしらラリッているのだ。

 

マイノリティ問題でよく言われることは、マイノリティに優しい社会はみんなにとって優しい社会。なぜなら、どんな人も、ある部分を切り取ればマイノリティだからである。

 

つまり、マイノリティ問題はマイノリティの問題ではなく、全員の問題である、というような。

 

精神障害も同様のロジックがある。ある部分はみんな狂っているのだ。昔、ある精神科医に尋ねたことがある。わたしは持論を述べた。

 

「人間なんてみんな狂ってるではないか。人間はみんな精神病患者だである。病人と健常者の違いはなにか?」

 

彼の回答は極めて明快であった。

 

「社会生活が営めないような影響が出ていたら病気」

 

その意味で言えば、この妻はかなりヤバい。

 

この作品で弱いと感じたことは、睦月の結婚の動機である。笑子は睦月を愛しているのだから結婚する動機がある。しかし、睦月はべつに笑子を愛していない。単にホモのカモフラージュとして結婚したのであれば、笑子こそいい面の皮である。

 

つまり、睦月の無限の優しさが、小説のリアリティを欠いているように感じるのである。重箱の隅をつつけば。

 

逆に考えると、この睦月の荒唐無稽さこそ、女子の憧れる理想の男子だとも考えられる。もし、そういう、一種の神に近い理想、イデアであるとするなら、荒唐無稽であることにこそ意味があるとも言える。