文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 

芸術と政治は切り離せない トリエンナーレの慰安婦増に寄せて

今世間では、政治が芸術に介入してけしからん、または、慰安婦像は芸術ではないから政治の介入は当然、そんな議論になっている。

 

どちらも誤りである。

 

芸術とは必ず思想的なものであって、思想的なものは必ず宗教性や政治性を内包する。逆に、思想がないものなど、芸術でもなんでもない。

 

津田氏はもともと左翼の活動家でその津田氏を起用すれば、左翼的、反日的な芸術祭が出来上がるのは分かりきったことであった。そして、今回の騒動が持ち上がり、津田氏は当初の目的を果たしたことになる。

 

 

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https://www.sankei.com/world/news/181124/wor1811240013-n1.html

 

慰安婦像は明確に政治的であり、政治的であるが故に芸術として取り上げる基準を満たしているのである。

 

交響曲HIROSHIMAは広島だから意味があって、KAGOSHIMAでは意味不明になり、FUKUSHIMAだと別の意味になる。

 

ピカソゲルニカだって、ゲルニカだからこそ訴求力があるのである。あれを平和日本のイラストレーターが書いたところで、だれも注目しない。

 

wikiより。

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文学はより政治的で、その表現も直接的である。ヘイトスピーチと同じくらい。故に、たびたび裁判で出版差し止めになったりする。

 

芸術であるはずの文学を出版差し止めにするなどは政治の横暴である、表現の自由の侵害である、とペンクラブは怒るべきなのに、司法に対しては戦わない。むしろ、百田が損害賠償支払いになった件などでは喜んだのではないか? (日本会議の研究が出版差し止めになったときは怒ってた)

 

表現の自由だとかなんとか言っても、結局は人間的なのである。

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 そして、表現の自由を国家抜きに考えるのは論理矛盾である。なぜなら、表現の自由を担保しているのは秩序であり、秩序を担保しているのが国家だからである。

 

表現の自由は国家権力に守られていて、国家権力の崩壊したところに於いて表現の自由はあり得ないからである。

 

民主主義を否定する民主主義は是か。自由を破壊する自由はあり得るのか。こう言った問題が、表現の自由と国家の間には存在する。

 

ある作品が芸術かどうかなどは下らぬすぎる問いである。

 

↓この中のティーチ・インに言論の自由云々が入っている。

文化防衛論 (ちくま文庫)

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