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ジョナサン・ハイトの「社会はなぜ左と右にわかれるのか」三章

この章は、感情は引っ張られる、ということを様々な実験により証明している。

 

例えば、

 

① 花――幸福

② 憎しみ――日光

③ 愛――癌

④ ゴキブリ――孤独

 

というペアを用意して、最初の単語を0.25秒間表示した後、二つ目の単語を表示して、その単語が良いものか悪いものか判断させる、という実験である。

 

この場合、②と③のペアで好悪がことなる単語を見せた場合の方が、①④よりも判断が若干送れる。前の単語に感情が引っ張られているからだという。

 

このテクニックは選挙の演説でも多用されている。相手候補や、相手の政党の話をするときに、直接ではなく、「病的」「腐った」「酷い」「グロテスク」「邪悪」などという単語をちりばめながら語る。逆に、自分や自党のことを語るときは、「健康」「輝かしい」「正義」「美しい」などのワードをちりばめる。

 

また、ハンサムや美人が無罪になりやすいケース、または有罪であっても刑が軽いケースが紹介されている。ワードだけでなく、人々の判断は見てくれにも左右されるのである。

 

一番おもしろかったのは、環境による人々の判断の変化である。例えば、道徳的に微妙な問題(兄妹のセックスなど)の質問に、無臭の状態で質問に答えるのと、悪臭の中質問に答えるのでは、悪臭の中の方がより道徳的に厳しい回答になる。

 

また、ポルノや麻薬といった道徳的に潔癖を求める質問では、手を洗ってからの回答のほうが、手を洗わないで回答するよりも、より潔癖を求める結果となった。(なるほど。われわれの社会が寛容性を失っているのは、衛生面が整備されてきたからに他ならない)

 

服装の乱れは心の乱れ、というが、身体と正義心の間には相互関係がある。体の汚れは道徳的に不道徳であり、不道徳な行いは体の汚れと感じる。道徳的な判断は「象」が下すということである。

 

では、「象(感情)」は「乗り手(理性)」を完全に凌駕するかといえばそうではない。直感的な判断は今述べたとおりであるが、時間をおくと、象は乗り手の説得を受け入れるのである。

 

さて、なぜ理性は感情を補完する機能だけでなく、感情に対して反駁する機能を有するようになったのか。また、そうすることが生存に対しどうして有利に働くようになったのか。

 

次章に続く。

 

 

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
 

 

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ジョナサン・ハイトの「社会はなぜ左と右にわかれるのか」二章 - 文学・文具・文化 趣味に死す!