30日の夏の文学教室に行くので予習をした。
マリという主人公が、夢の中でマッカーサーに会ったり、平成天皇に会ったりする幻想小説である。
しかし、幻想小説という体を取りながらも、地の文などはほとんど論文である。
作品の内容に関する好悪はひとまず置いておき、この作品は明らかに問題作である。基本的に天皇を扱うことですらタブーであるのに、天皇は空っぽの箱だとか、天皇は人形だとか、天皇が天皇の仮面を被っている、という描写すら出てくる。
平成天皇の16年8月のお気持ちなども、随所に引用して突っ込みを入れる。例えば、
「全身全霊をもって象徴のつとめを果たしていくことが難しくなるのではないかと案じています」
というところで、全身全霊で象徴のつとめを果たす、ってなに? みたいな。
極めて不敬であるが、確かに、言われてみればそんな気もする。
マッカーサー、GS(GHQの民政局)などと夢の中でマリは会話する。例えば象徴はsymbolとなっているが、シンボルとはなにか。
会社のマークなどはシンボルというが、では、天皇は日本の旗なのだろうか? 象徴には象徴するものが必要である、などの議論が続いていく。
GSやマッカーサーのやりとりは国産みの会議。その会議にマリが立ち会っている。
わたしがこの小説に対して不満を持つのは、天皇の扱い方がその一面しか見ていないからである。たしかに、空き地、箱、空っぽのスペース、という見方もあるが、そうでない面も多々ある。
さらに、歴史的に観た場合、一口で天皇といったところで、その実態は本当に様々である。
だから、この小説は天皇を扱ったというよりも、平成天皇の視点で天皇を語ったと見るべきではなかろうか。
30日、せっかく話を聴きに行くので、この場で断定はせず、著者の話を楽しみにしたいと思う。
ただ、これほどの問題作が完全にスルーされているところに、文芸誌の衰退を感じざるを得ない。