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小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 

逆説の日本史を読んで、なんとなく、少子化問題について考えてみた。

「たわけ」ということばがある。

「この、たわけがっ!」みたいに使う。

たわけを辞書で引くと、戯け、と、田分け、がでてくる。

 

鎌倉時代末期、御家人が困窮した原因として田分けが上げられる。封建時代というと長子総取りみたいなイメージがあるが、それは江戸以降である。

 

鎌倉時代は兄弟に平等に所領が分け与えられていた。だから、鼠算式に田畑は狭くなるというからくりである。

 

幕府は有力御家人の力をそぐ感じでそんなことをしていたのかも知れないが。

 

 さて、これ以上田を分けられないほど小さくなったらどうするか。素直に廃業するか。それとも、1人に総取りさせるか。

 

鎌倉時代はこの二つの選択肢しかなかった。だが、現代ならどうだろう。そう。子どもを1人だけ作ればいいのである。

 

現代の少子化社会、これの理屈に近い物があるのではなかろうか。つまり、子どもが多くても育てきれない。大学に行かせられない。などの理由から、せいぜい3人ほどしか産まないが、ではなぜ、大学に行かせられないと3人で打ち止めということになるのだろう。

 

明治以降は家ではなく、個の時代になったから嫡男云々はなくなり、子どもが爆発的に増えた。つまり、家からぶんどるのではなく、社会から富をぶんどるシステムができたということだ。

 

現在、せいぜい3人ほどにして、大学に行かせるのは、せめて大学にでも行かせないと社会からぶんどることが出来ない、という無意識がそうさせているのではなかろうか。

 

金がない家庭なら、3人といわず、2人、1人、というところもあるだろう。

 

少子化問題と経済問題は関係ないと言うが、そんなことはないだろう。社会に富が溢れていて、それをぶんどれるシステムがちゃんと出来ていれば、わたしは少子化に歯止めが掛かるような気がするのであるがいかがであろう。いうまでもなく、試論である。

 

 

逆説の日本史6 中世神風編(小学館文庫): 鎌倉仏教と元寇の謎

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