今日はバッハの誕生日 バッハの魅力について - 文学・文具・文化 趣味に死す!
↑もうAIがメロディに伴奏を付けるから、和声学とか対位法とかやらなくてもいいよね。という記事を昨日書いた。
だが、よくよく考えてみると、和声学も対位法も一通り修めれば音楽の才能のあるなしにかかわらず、音楽的な伴奏を作れてしまう。
もっと極端に言ってしまえば、生まれつき聴力を持たない人でも、和声学と対位法を使えば音楽的な作品を作れてしまう。和声学や対位法は音楽版中国語の部屋という訳である。
諸賢は現代音楽なる物を聞いたことがあるだろうか。教科書にも載っている有名な現代音楽はジョンケージの4分33秒で花粉症でくしゃみが止まらない人以外は誰でも演奏できる素敵な曲だ。
ただし、ここに至るまでには歴史があり、対位法や和声学の禁則を一つ一つ破ってようやくたどり着いたのだ。
なにが言いたいかというと、昔の人も対位法や和声学の規則通り、もしくは規則を尊重して音楽を作っている限り、そこにオリジナリティはないと考えたと言うことだ。
そして、調性から自由になり、12音技法となるのであるが、そうすると今度は12音技法にとらわれる。
で、結局、音楽はどんどん訳の分からないものになっていって、バッハ、ベートーベン、ブラームス、シェーンベルク、と受け継がれてきたクラッシック音楽は、大衆から見捨てられたのだ。
音楽に関して言えば、結局人間は規則から自由になることは出来ず、一切の規則を用いないというコードは、とりもなおさず、「一切の規則を用いない」という規則になってしまうのである。
AIは常に規則に支配されるが、それは人間も同じことなのではなかろうか。ここから考えるに、人間とAIの違いなどないのではないか、という結論が浮かび上がる。
↓売ってることに驚きを禁じ得ない。200円だ。こういう不合理を行えるのが人間?