最近やっと涼しくなってネクタイをしていても平気な季節となった。が、10月までがクールビズだかなんだか知らないが、相変わらずノーネクタイが多い。つまり、彼らは暑いからネクタイをしないというのではなく、ネクタイをしたくないからしないのである。われわれ反クールビズ同盟は暑かろうが寒かろうがネクタイをして、ネクタイをしないときは、ネクタイをするべきではない装いだからネクタイをしない。
わたしはクールビズというネーミングはよろしくないと思う。名前だけ立派で、その実は単にネクタイを外して上着を着ないで、シャツの袖を切り落としただけではないか。
挙げ句の果てにスーパークールビズだ。環境省における服装の可否の表があるが、見た瞬間噴飯物である。サンダルもオーケー。NGはタンクトップとハーフパンツだ。ジーンズよりもクリースの通ったハーフパンツの方がはるかにちゃんとしていると思うのであるが。
クールビズがなぜネーミングとしてよろしくないか。全くクールではないからである。かっこよくもなければ別に涼しくもない。かっこよくないのは論を待たない。涼しくもないのだ。ネクタイは外しているが冬物のスーツを着用していたりしている。さらにひどいネーミング、スーパークールビズ。スーパーサイヤ人じゃあるまいに。発想が幼稚園児以下である。
つまり、こんな下らない決まりなど作らずに、おのおの着たいものをもう着せてしまえばいいではないか。というのも、クールビズのせいでネクタイをしたいのに出来ないでいる人は大勢いるだろう。場の雰囲気に合わさなければならないからだ。こんなふざけた話があるだろうか。服装は伝統である。なにが格好いいか、伝統である。その伝統を国家権力でぶちこわして、ボタンホールを変な色で刺繍するとか、襟を妙な形にするとか、クールビズは文化破壊以外の何物でもない。正しい服装をしようとするものを阻害している。国家がこれを主導しているのだから、もはや目も当てられぬ状況である。
先週の投稿にも書いたが、落合先生はまず靴とネクタイに投資せよ。と書いている。どちらも一生物だからだ。ちょうどマリネッラからイベントの告知が来た。マリネッラの手紙はいつも一風変わっている。郵便屋泣かせだ。マリネッラの党首がネクタイ選びを手伝ってくれるらしい。マリネッラはわたしも所有しているが本物のネクタイである。一本持っておいても損はない。