今読んでもなかなかのパワーがある。リュウが十九歳という設定に現代的には無理を禁じ得ないが、当時(七十一年)ごろはああいう十九歳がいたのかもしれない。
内容はヤク中の若者たちがラリッて暴れ回るという、とてもシンプルな物語である。これに比べてると送り火の暴力などは非常にかわいらしく見えてしまう。
ゲルマニウムの夜とかも暴力的だ。暴力的な作品というのは一定の需要があるのだろうか。
しかし、村上龍は天才である。この作品を二十で書いて、三十では愛と幻想のファシズムを書いてしまう。最近の作品は知らないが、ちょっと読んでみようかと思った。
限りなく透明に近いブルーを今さら批評するのも無粋である。いろいろ言われている。例えば、暴力が続くのだが、主人公のリュウはそれを眺めているだけ。客観的な静かなる暴力、とか、同時代生、ベトナム戦争、内ゲバ、その裏側で退廃的な若者が描かれている、とか。
確かに、そう思って読むとそう読めないこともない。ただ、やはりこの作品は、目を背けながら、嫌な若者たちを味わう、わたしにとってはそんな作品だ。つまらなくはないが、人に勧めたいかと問われればノーである。