体操界のヘゲモニー闘争が面白い。 - Yoshinori Hoshi Official blog
東浩紀がなにかで言っていたが、パワハラだセクハラだ○○ハラだと、なにかと言えば騒ぎ出す社会に於いて教育は割に合わない。
教育は教える側のリスクがあまりにも高い。なら、無理に教えない、そうなってしまう。
みたいなことを言っていた。
何か物事を本気で教えようとしたら、どうしても、強圧的になるし、パワハラと捉えられることも十分あり得る。吉田松陰なんかも相当弟子をぶっ飛ばしていたと聞く。しかし、そういう教えに耐えて、師弟愛のようなものが生まれた中で、真の奥義が伝わるのかもしれない。
表面上、お客さんを相手にするような教育などで、真の奥義が伝えられるのか、はなはだ疑問である。
となると、今後教育とはどのような形態に変わっていくのだろうか。
もうすでに変わりつつあるのかもしれないが、根性的な部分はなくなるし、先輩後輩もなくなるだろう。先輩もそのうち後輩からパワハラで訴えられる可能性が高くなる。
そうなると、組織とか共同体とか、そういう内側の論理で回らなくなる。相撲協会とか芸能界とか、今回の体操界もそうだが、内側の論理で今まで回っていたものに、世間の論理を持ち込めば、内側は破けて外に飛び出す。内側が内側ではなくなる。
つねに世間の目を気にする組織、共同体、これこそ究極の監視体制であり、フーコーが言うお互いがお互いを監視する状況となる。
外山恒一が以前、社会は右傾化しているのではない、急速に左傾化しているのである、と言っていた。古き伝統はぶち壊れ、新しい社会形態の誕生が予見される。この意味に於いては、左傾化と言えないこともない。