文句なく面白かった。が、空しくなった。
まず、長谷川さんみたいな政治家はいないし、あんな熱血政治家がいたらある意味危険だ。しかし、ゴジラという危機を前にして、暴力装置が一致団結して国家と国民のために頑張る姿は感動する。
が、
逆に言うと、ゴジラが来ない限りああいうことはあり得ないし、ゴジラがくれば否応なくああなる。
もちろん、ゴジラは比喩である。
震災・災害に置き換えてもいい。
この作品をみて、改めて文学の重要性を感じた。
震災の前に文学は無力、ではないのだ。
震災の最中にはそりゃ本など読んでる暇はないので、文学は如何ともし難いが、震災がないときはすなわち平時であり、基本平時であり、平時に文学は欠かせず、平時の文学が我々の震災感を作る。まさに、このシン・ゴジラのように。平時でなければシン・ゴジラは生まれ得ない。
震災の前には文学だけでなく、音楽だろうが絵画だろうが哲学だろうが演劇だろうが映画だろうが、平時に消費するものは全部無力だ。
だが、震災がなんなのか語るのは文学であり文化である。
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