夏の文学教室 近代と現代の間―昭和の文学から - 日本近代文学館
本当は浅田次郎の講演が聴きたかったのであるが、その日は用事があって行けず。
しかたがない、というのも失礼だが、池澤夏樹の回があったので、それにいった。
池澤先生だけでなく、青来有一先生、安藤礼二先生の講演もあった。どれも、最高に面白かった。
青来先生は「林京子と原爆文学のメッセージ」という講演だった。
青来先生は自分が原爆を体験したわけではないのに、原爆について書くことに違和感を感じていたという。それを、林先生が「文学は自由ですから」と言ってくれて非常に楽になったと。
林京子は原爆文学を書いていた。ずっと原爆を書くので夫が「おれはおまえと結婚したんであって被爆者と結婚したわけではない」と言ったらしい。それがショックだったと。
そのくらい原爆を書いていたのだ。トリニティからトリニティへで、林は「日本人が初の被爆者だというが、トリニティ実験場のガラガラヘビやトカゲは日本人よりも早く被爆している」と書いたらしい。そして、「再びルイへ」という作品を書いている。ルイとは人類ではなかろうか、という話だった。
あと、林は女学校卒業だが、もっと貧しい女性の被爆者もいて、同じ被爆者でも、裕福なものと貧しいものでは、その体験が全然違う。被爆者と言っても一括りに出来ない、など興味深い話を伺った。
文学はだれに向かって書くか。ベストセラー小説などは現代人に向かって書くが、戦争文学の多くは死者に向かって書かれることが多い。ほかにも、未来の人間に向けて書く人たちもいる。ベストセラーだけが文学ではない、と青来先生は仰っていた。じつに良い言葉である。
↑トリニティからトリニティへを併録