文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

小説を読むのではなく、小説に読まれるということについて

普通、文学作品なり、何らかを鑑賞するときは、こちらが主体となり、作品を評価する。よい作品、面白い作品、下らない作品、など下す評価の中に、わからない作品、というのもたくさんある。

わからない作品に出会ったとき、イコールつまらない作品に分類してしまう。わからないのだから、面白いはずがない。ただ、自分が主体となるのをやめて作品と向き合うという、論理矛盾であるが、そういった心持ちで作品に向き合うと、面白いかも知れない。

つまり、評価されているのはわたしであって、作品に試されているのである。作品がわたしを中身のある人間であるか、興味ある人間であるか、下らない人間であるか、まるで面接官のように評価している。

その場合の作品の読み方は、ちゃんと評価されるように読む。立派な人間だと思われるように読む。そう考えると、「作品に受け入れられる」というとらえ方が出来るし、ちょっと視野や了見が広がるような気がしないだろうか。