文学・文具・文化 趣味に死す!

小説家 星香典(ほしよしのり)のブログ。小説、映画、ファッション(メンズフォーマル)、政治、人間関係、食い物、酒、文具、ただの趣味をひたすら毎日更新し続けるだけのブログ。 ツイッター https://twitter.com/yoshinori_hoshi  youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UC0YrQb9OiXM_MblnSYqRHUw

学問をすれば立派な人間になれるか?

五日目のスクワットも無事クリアー。とりあえず三日坊主にはならずにすんだ。

30回のスクワットだが、かなり脚がぴりぴりきていた。4日後は40回。7日後は50回と増えていく。30日目のスクワットは100回だ。大丈夫だろうか。

 

筋トレをするのは、体を引き締めて、力を強くするためである。では、学問はなんの為にするのであろうか。

 

昨日の続きであるが、わたしが学問をする理由は、立派な人間になりたいからである。知識を手に入れることにより、今よりもマシな判断が出来るようになり、マシな人間になれるかもしれない。だから、学問をしているのだと考えていた。

 

西部先生の死は強烈だった。わたしの学問をする理由が揺らいだ。

というのは、学問を重ねた先に、氏のような立派な人間になれるだろうか、という疑問である。確かに、学問を重ねれば、広範な知識から最適な回答を得やすくなるかもしれない。しかし、それと立派な行動を取るというのは、知識の延長線上の話ではないように感じた。

 

どれだけ学問を積んでも、立派な人間にはなれない。なにも目新しくない普通の命題である。しかし、学問を辞めるか、と言えばそれは違う。学問と立派な人間という線は決して交わらないだろう。でも、その距離は近づくと信じたい。

では、なにをすれば立派な人間になれるのだろうか。立派な人間であるか否かは先天的なものなのであろうか。だとすると、先天的に立派ではなく生まれてしまった人間は、立派になろうと思いながら学問を積んで生きるしかないのかもしれない。