西部邁氏がMXでやっていた西部ゼミナールは好きでよく見ていた。
氏の思想が影響力を持つのは、思想そのものもさることながら、その生き様であろう。見事としか言いようがない。
氏は、近年の自然死を病院死だと言って嫌っていたそうだ。
だれだって寝たきりになって、病院に生かされるのは嫌である。嫌だからと言って氏のようにすぱっと生を捨てられるかと言えば、そうはいかないだろう。
まさに有言実行。今回の自殺は氏の思想表現の延長に他ならない。そして、その表現は成功したと思う。
誰か死んだら「ご冥福をお祈りします」というのが普通であるが、どうも西部先生にはこの言葉が似合わない気がする。
同じ自殺でも氏の自殺は追い詰められて、打つ手がなくなって、世を悲観して、などの受動的な自殺ではなく、もっと意志に満ちた、未来を切り開く、能動的な自殺である。誤解を恐れないで言うと、氏は自殺によって社会改革を行ったのだ。