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日本には超一流アパレルブランドがないという。

日本には超一流アパレルブランドがないという。

toyokeizai.net

面白く読ませてもらった。でも、これは仕方のないことであり、日本で超一流アパレルブランドを作るにはもう少し時間がかかると思う。

というのも、現在のアパレルが、エルメスやヴィトンが作り上げた伝統の上にあるのだから、なかなか東洋がそれらに加わるのは容易ではない。日本に限らず、アジアに超一流アパレルブランドがあるだろうか。

超一流アパレルブランドがヨーロッパに集中しているのは、やはり、ヨーロッパが発祥だからだ。あと100年くらい経てばこの状況は変わるかも知れない。超一流懐石料理屋が日本にしかないのと同じ理由だ。

毎度例に挙げて恐縮だが、HERZなどは日本のブランドとして成長するだろう。ただ、ブランド料をプラス200%くらい上乗せされるとたまらない。それなら、知る人ぞ知るメーカーで十分だと思う。

わたしは本物志向が高じてくれば、無駄なブランド料は今後なくなると考えている。ブランド価値とは安心と見栄であり、安心は情報で補うことが可能である。ネット社会の中で情報を取得することは容易なので、そうすると、ブランドの安心感という価値は相対的に下がる。

見栄も情報化の中で、ブランド料の不遜すぎる搾取に人々がそっぽを向き始めたら、見栄は見栄として機能しなくなり、愚かさの看板に成り下がる。すでに、全身ブランド尽くめのものは滑稽である。

ブランドがブランドとしての価値を提供するならば、そこでしか手に入らない希少性と独自性に特化するしかないだろう。身もふたもない言い方をすると、そもそも超一流ブランドを創出することは可能か? またする必要があるのか、という疑問がある。

レクサスは無理矢理ブランドを創出したわけであるが、あれは車という分かりやすい性能があってのことだと思う。アパレルに性能を求めるのは難しい。服に性能を求めるとヒートテックみたいなことになってしまう。

SEIKO、とくにグランドSEIKOはかなりブランド化に成功していると思う。さっきHPを見てきたら、初代GSの復刻をプラチナケースにして、お値段320万円也。