やはり、初めて持ったの携帯は思い出深い。
驚くべき通話料の高さで、たしか6秒10円。1分100円である。
インドからかける国際電話よりも高かったのを覚えている。
3000円のプリペイドカードで2ヶ月通話できて、3ヶ月目は受信だけだったような気がする。だから、テレフォンカードを併用して、発信は公衆電話から行っていた。
公衆電話からかけると出ないやつがいて、連絡が取れず困ったことも多々あった。
それでも、二年くらいは使ったのだろうか? メールも128文字とか、今では信じられないくらい少ない。もちろん、ネットにはつながらず、カメラもついていない。それでも、特段不便を感じたことはなかった。
それが、10年ちょっとでiphoneである。この進歩は早い。
10年後、今のiphoneを懐かしく思う日が来るのだろうか?
「あのころのiphoneは○○すらついてなかったんだぜ」みたいな。
未来予想家のカーツワイルは確か、10年くらい前に、
「10年後にはモバイルは服や皮膚に埋め込まれ、持ち歩く必要がなくなる」
みたいなことを言っていた気がする。残念ながらそれは外れた。
ただ、気づいたことは、技術の発展、便利さの向上というのは、大して感動をもたらさないと言うことだ。それどころか、FBやツイッターなどはない方が良かった。どうも、最近は技術に振り回されている気がする。いつでも誰とでも連絡が取れるのは便利ではあるが、人間、そんなにしょっちゅう連絡など取らない方が健全のような気もする。
そう考えると、異様に便利な未来も興味深いが、不便きわまりない弥生時代とかも、同じくらい興味深い。
ただ、これはわたしの持論であるが、人間は技術を止めることが出来ない。人間は人間を滅ぼすと分かっていても、その開発をやめることは出来ない。好む好まざるに関わらず、我々は技術に付き合うしかない。ならば、技術を楽しんだ方が良い。ARとかはかなり好きである。
携帯にAR技術が融合する日は近い。いや、もう来てるか。ポケモンとかで。
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